こちら診察室 アルコール依存症の真実

10代で酒浸りになった男性 第13回

 男性は20年、女性だと10年―。これは、習慣的に飲酒を続けた場合にアルコール依存症になる期間の平均値だそうだ。ところが、今回登場する男性は20代前半でアルコール依存症と診断された。男性がなぜ依存症になったのか。本人の語りとともに追っていく。

眠るために酒の力を借り、依存症になっていった

 ◇緊張感張り詰めた家庭

 子ども時代、男性の家庭にはいつも緊張感が張り詰めていた。

 「小学校何年生の頃だったでしょうか。父と母と僕と妹の4人で食事をしていました。父はお酒を飲んでいます。きっと日本酒だったと思います。母はお酒を飲ませたくないので怒っています。みんながぴりぴりしていました。会話はひと言もありません。黙々とご飯を食べているのです」

 家業は飲食店だった。

 「僕も妹も構ってもらえませんでした。家業が忙しいこともあり、手を焼かせることをやるとすごく怒られました。とても母が怖かった」

 夫に対して募るイライラを子どもたちへの怒りへと転嫁しているようでもあった。

 学校から「宿題をよく忘れる」と連絡を受けた母親は、子どもだった男性を押し入れに閉じ込めた。食事の好き嫌いは許されなかった。「皆が持っているから買って」とゲーム機をねだることなど考えたこともなかった。

 ◇「良い子」になった理由

 母親の決めたルールを破ると物差しでたたかれた。

 「たたかれた痛さよりも母に捨てられるかもしれないという恐怖心から、いつしか、母の言うとおりにする『良い子』になっていきました」

 母親のルールにさえ従っていれば問題は起こらない。だから、「良い子」になった。しかし、良い子にしていても、その見返りは叱られないことだけだった。

 「母に褒められた記憶はありません。怒る時も子どものためにというのがよくあるじゃないですか。でも、母はそれとは違っていたのではないかと思っています」

 ◇飲み始めは中学3年生

 父親の酒量が増えるにつれ、仕事がおろそかになってくる。

 「その分母親は忙しくなって、家の中はいつも何かが張り詰めていました」

 中学に入ると寝付かれないことが多くなっていった。

 「夜、布団に入ると不安に取り囲まれるんです」

 中学3年生の時に初めて缶酎ハイを飲んだ。

 「友だちから勧められて飲んだんです。何かとても開放的な気分になりました。その感覚が忘れられず、寝る前に冷蔵庫から缶ビールを盗んできて飲んだら、朝までぐっすり眠れました」

 酒は不安感を解き放ち、相対する人との関係に勇気を与えてくれた。母親との関係が影響しているのだろう。男性は人付き合いが苦手だ。人前で萎縮するようなところがあり、極度のあがり症だった。劣等感のようなものも抱えていた。そんな自分が嫌だった。

 「お酒を飲むと人前に出てもあがらなくなり、劣等感も忘れることができたのです」

 とは言え、さすがに中学生の小遣いでは毎日飲むわけにはいかなかった。

 ◇毎日飲めた高校時代

 高校に入ると昼食代を酒代に充てることができるようになった。休日分は小遣いでまかなっていた。ほぼ毎日飲むようになったのは高校2年だ。そうなると、酒をどう確保するかで頭がいっぱいになる。

 「お金がなくなると母の財布からお金を盗んだり、父の酒をくすねたり…。母が気付いて財布を隠すわけですが、今度は店の金庫から盗んだりもしました」

 高校3年になると酒量が一気に増えていった。「酒臭い」と友だちから言われることが多くなった。成績も下がり始めた。

 「お酒を控えなければと思っても、夜になるとイライラしてきて飲まずにはいられなくなってくるんです」

 もはや、アルコール依存症と言える状態なのではないか。この男性の場合、医療機関での診断は20代前半だと冒頭で伝えたが、毎日飲み始めて、わずか1〜2年でアルコールに依存するようになったのだ。

 ◇大学不合格

 大学入試はすべて不合格。予備校に通った。風邪で病院を受診した時に医者は言った。

 「君、酒臭いね」

 「飲まないと眠れないんですよ」

 「寝ないで死んだ奴はいない。酒はやめなさい。学生だろ。就職すればいくらでも飲める」

 男性は「予備校生で学生ではない」などと説明しようかと思ったがやめた。しかし、「このままではまずい」と真剣に考えた。

 「しばらく酒をやめようと思いました。徹夜をしました。本当に眠れなかったんです。いつの間にか、お酒を飲まなければ眠れない体になっていた。いや、体ではなく、心がそういう状態になっていたのかもしれません」

 3日目の徹夜明けに酒に手を出し、酒をやめることをやめた。

 「予備校の授業料を使い込んだりもしました。昼はパチンコをしながら飲み、夜は安い焼き鳥屋で飲むんです」

 ◇飲むのをやめられない

 飲み方が人とは違っていると気付き始めたのはその頃だった。

 「他の人は途中で切り上げることができるんです。でも僕にはそれができなかった。意識がなくなるまで飲む。とにかくやめられないんです」

2年間の浪人生活の後で大学進学を断念した。親が「浪人は今年限り」と期限を切ったためだ。

 「大学を諦めた時は、重荷を下ろせた感じもしたのですが、やっぱり敗北感のほうが大きかったでしょうか」

 重荷を忘れるための酒が敗北感を薄めるための酒へと変わっていった。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)

 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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