こちら診察室 アルコール依存症の真実

子どもは反抗、最後は孤独 第12回

 アルコール依存症の夫の飲酒癖に苦しみながら、結局は、夫の飲酒を支える行動を取ってしまう妻のような存在が「イネイブラー」だと紹介した。イネイブラーは被害者であると同時に「無自覚な共犯者」なのだ。

アルコール依存症で自ら孤独を招いた父親

アルコール依存症で自ら孤独を招いた父親

 ◇「悲劇のヒロイン」は共犯者

 依存症の夫を持つ妻は、自らの境遇を嘆く。そして、崩れていく家庭を「私が何とか支えなければ」と頑張ろうとする。

 「私が我慢すれば、家族の苦労を私一人が引き受ければいいんだわ」

 まさに悲劇のヒロインを自認するのだが、実はヒロインが依存症を悪化させる共犯者であるわけだから、いささかややこしい。

 そんな両親を持った子どもたちは大変だ。ところが、子どもたちが節目節目でたくましさを見せることがあった。悲劇のヒロインであった母親の真理子さん(仮名)は、しみじみと振り返る。

 「こんなとんでもない家庭にいても、3人の子どもたちは育ってくれました。今思えば、父親からの逃げ足が早かったのが幸いしたのかもしれません」

 ただ逃げていただけではない。3人の兄弟はそれぞれの方法で反抗した。

 ◇長男の反抗

 長男の結婚式の日の出来事だ。出席者は約100人。披露宴の会場で性懲りもなく酔っ払ったのは新郎の父親だった。

 そういう事態は予測の範囲内であり、長男は父親からの言葉は式次第から省いていた。本当は父親は呼びたくなかったのだろうが、結婚式となるとそういうわけにはいかない。

 案の定、披露宴が進むと、父親の醜態が目立つようになった。高砂席(新郎新婦が座るメインテーブル)から、遠目に見ていた新郎にとって、それは耐えられないものだった。

 新郎が動いた。

 真理子さんは、その時の様子をまざまざと思い出す。

 「夫がトイレに行こうと廊下に出るとすぐに長男が走り寄り、『もうお酒はやめてください』と言ったのです。それを無視するかのような素振りを夫は見せました。長男はその態度を許しませんでした」

 新郎は「ちょっと手荒なことをするけど」と、父親の手をむずとつかんで自分の方を向かせた。そして、父親の目をにらみ付けながら強い口調で言った。

 「お父さん、ちっとも変わっていないじゃないですか。いいかげんにしてください」

 さすがにこたえたのか、それ以降、父親は酒に口をつけなかった。「もちろんその日だけでしたけれどね」と真理子さんは付け加える。

 ◇次男の反抗

 東京の大学に行っていた次男が不意に帰郷した。平日の昼間を狙って自宅に立ち寄ったのだ。高校の教員である父親は不在のはずだった。ところが、父親は学校を休み、酒を飲んでいた。

 それを見た次男は「お父さん、それもらいますよ」と決然と一升瓶を取り上げ、中身を流しに全部流したのだ。父親は、その様子を黙って見ているだけだった。

 「夫は私には暴力を振るっても、子どもたちに手を上げたことはありません」と真理子さんは言う。

 父親は次男に何を言うでもなく、そのまま寝てしまった。

 ◇三男の反抗

 三男の場合は様子が異なる。「出て行け!」「ぶんなぐるぞ!」「殺すぞ!」と酒のコップを片手に鬼のような顔で母親に向けられる暴言を毎日目撃し、母親に暴力を振るう光景に兄たちよりも長くさらされていたことが影響しているようだ。

 さらに言えば、母親のイネイブリングに付き合わされることが多かったことも挙げられるだろう。イネイブリングとは、イネイブラーが行う行為で、依存症者の尻拭いを行う行動などが典型例だ。本来なら依存症者本人が負うべき酒の上での失敗を他者が後始末するわけだから、本人は翌日もまた酒を飲むことができるのだ。

 三男にとって父親は「恐怖の対象」そのものだった。前述したように、父親が子どもたちに手を振り上げることは決してなかったが、兄たちのように真正面から反発することは一度たりともなかった。しかし、真理子さんは知っている。

 「家を離れて大学に通っていた時、三男が父親からの仕送りには手を付けることは一切ありませんでした」

 それが、三男ができた父親への反抗だった。

 ◇依存症者の孤独

 子どもたちが遠ざかっていくことに寂しさを募らせていたのは依存症の本人である父親だった。飲めば飲むほどに子どもたちは遠のき、その孤独を紛らわすために飲むという悪循環に陥っていた。

 家族だけではない。学校の職員室でも、教室でも、次第に居場所がなくなっていった。
真理子さんが嫁いだ頃、しゅうとめは「息子はそのうち校長先生になる」と言っていた。「しかし、教頭にすらなれずに定年の年を迎えることになりました。あれだけ学校を休んでいたら、それはそうだと思います」と真理子さんは語る。

 定年が近づくにつれて孤独への不安が押し寄せ、だから酒を飲む。その頃の様子を真理子さんは振り返る。

 「休みの日は朝の4時か5時ごろからお酒を飲み始め、私の布団をバーッと剥いで、『起きろ、何か食べる物を作れ!』と怒鳴るような状態でした。内科にも入院しました」

 真理子さんは続ける。

 「でも、その入院の後、どうしたわけかお酒をぴたりとやめたのです。半信半疑でしたが、お酒を飲まないままに定年の日を迎えました」

 その時の断酒の途中、真理子さんは子どもたちに『お父さん本当に飲まないよ、奇跡が起きているよ』と手紙を書いた。三男も既に親元を離れていた。

 だが、断酒は続かなかった。ついに真理子さんも家を飛び出し、真の孤独の日々が本人に訪れた。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)

 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

【関連記事】


こちら診察室 アルコール依存症の真実