医学部トップインタビュー
基礎研究に定評、多職種連携のパイオニア
開学50年で名称変更、2年目に―藤田医科大学
◇「やってはいけない」を約束
試験の点数だけでなく、建学の理念を深く理解した学生を選抜するために、入学試験は試行錯誤の繰り返しだ。東京医大事件の二の舞にならないよう、細心の注意を払いつつ、採りたい学生を選ぶためにどうすればよいかを常に模索している。面接試験で「入学後やってはいけないこと」を十数項目あげて確認しているのも苦肉の策の一つだ。
「内容はさまざまですが、『やらない』と宣言して合格した場合、6年間それを守らなければ虚偽の申告をしたことになります。命を扱う医療職はうそをついてはいけない職業ですから、そこは厳しく言っています」と岩田医学長。
◇365日の診療参加型臨床実習
4年生の10月から5年生の9月まで行う臨床実習を365日の完全参加型で行うのも特徴の一つだ。
「夏休みだから来ませんというのでは、仕事をつくってやることはできませんから。病院のスタッフとして迎え入れるなら、病院が動いているときは、いなければいけないということです」
◇人生にはアンチテーゼが必要
岩田医学部長の実家は名古屋市内の精神科病院で、長男として病院の跡継ぎになることを周囲から期待されて育った。父親から常に言われ続けたのは「医者になれ。医者になりたくないなら、何になるんだ」というアンチテーゼの言葉。
「医師以外の道を選ぶならば、この病院を継ぐ以上に世のため人のためになることをしろと言われて、悩み抜きましたが答えが出せず、嫌々ながら医学部に入りました」
しかし、病院を継ぐつもりはなかった。「病人がいるから病院があるのだから、病気を治してしまえばいい」と考え、精神疾患を解明して治すことを人生の目標に決めた。
「僕は研究をして病気を治しますというと、父親はじゃあ頑張れ。この人たちのためになることをしろと言ってくれました」
統合失調症の原因解明に向け、研究にまい進した結果、世界各国の研究グループとの共同研究で200個を超える関連遺伝子を見つけ出すことに成功した。岩田医学部長は「生きているうちに統合失調症の原因を解明したい」と意欲を示す。
臨床では、うつ病や統合失調症の患者と日々向き合う。「ものすごくつらい中でも生き抜こうという患者さんやご家族がともにあるので、それが大きな喜びです」
◇活躍の場を病院だけでなく社会の中に
「がんが克服されると、人間の健康被害は認知症や糖尿病など環境要因が大きな疾患が課題になる。自分が活躍できる場を社会の中に置くような視点で、医療や医学研究を目指すといい」とアドバイスする。
また、人工知能(AI)や情報通信技術(ICT)の発達に適応していくためには、情報処理能力を高めていくことが不可欠になる。
「目先のことに執着すると大切なものを見失う。新時代に選ばれる医師になるためには、どこで何を学ぶかが大事。藤田医科大学ならそれができると思います」と岩田医学部長は言葉に力を込めた。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
【藤田医科大学 沿革】
1964年 学校法人藤田学園設立。南愛知准看護学校開校
66年 名古屋衛生技術短期大学開学
68年 名古屋保健衛生大学開学。衛生学部衛生技術学科、衛生看護学科設置
南愛知高等看護学院開校
71年 同大学ばんたね病院開設
72年 同大学医学部開設
73年 同大学病院開設
78年 同大学大学院開設
83年 藤田学園看護専門学校を開校(准看護学校と高等看護学院を統合)
84年 大学と短大の名称を藤田学園保健衛生大学、藤田学園衛生技術短期大学に変更
87年 同大学衛生学部診療放射線技術学科設置
同大学七栗サナトリウム(現七栗記念病院)開設
91年 大学と短大の名称を藤田保健衛生大学、藤田保健衛生短大に変更
看護専門学校を藤田保健衛生大学看護専門学校に名称変更
2004年 同大学衛生学部リハビリテーション学科設置
08年 衛生学部を医療科学部に名称変更
10年 短大を廃止
13年 同大学地域包括ケア中核センター設立
18年 大学と看護専門学校の名称を、藤田医科大学、藤田医科大学看護専門学校に変更
19年 大学が医学部、医療科学部、保健衛生学部の3学部8学科体制に
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(2019/05/15 11:00)