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スポーツやる気持ちに差はない
~妻のメダル見守った夫―パラバドミントン~

 東京パラリンピックで新競技として採用されたバドミントン。女子ダブルスに出場し、銅メダルを獲得した伊藤則子選手(45)の心の支えとなってきたのは、妻を見守ってきた夫の智幸さん(46)だ。右足が義足の則子選手は子どもの頃に股関節に細菌が入ったことが原因で右の足首を切断し、骨の成長を止める手術を受けた。智幸さんは「障がいのある人もない人も、スポーツをやろうという気持ちに何の差もありません」と強調する。 

女子ダブルス3位決定戦でプレーする伊藤則子選手(手前)と鈴木亜弥子選手

 智幸さんは「社会福祉法人八事福祉会 名古屋市天白区西部いきいき支援センター」のセンター長を務める。いきいき支援センターは一般的には地域包括支援センターといい、高齢者の介護サービスや介護予防の相談などに応じる組織だ。

 ◇体を動かしたい

 2人は小学校、中学校、高校と同じ学校で、大学も同じだった。智幸さんは「学年が違ったので、高校まではそういう人がいるのだなと思う程度だった。大学に入ってからよく知るようになり、交際を始めたのです」と振り返る。

 「私も、もっと身体を動かしてみたいな」

 大学を卒業する頃に則子選手は、そんな気持ちになったという。愛知県バドミントン協会に所属していた大学の職員に誘われたのがきっかけで、バドミントンを始めた。当時22歳だった。智幸さんも中学時代からバドミントンという競技に親しんでいた。バドミントンを通じて2人の絆は深まっていった。

智幸さんと則子選手

 ◇障がいの有無は関係ない

 智幸さんは言う。

 「障がいが有るとか、無いということはあまり関係がないと思います。義足の人は早く移動することはできませんが、一緒に歩く人がそのスピードに合わせればよいことです」

 「健常者であっても、障がい者であっても、やる人はやるし、やらない人はやらない。それが普通です。本人ができる範囲でのスポーツとして、バドミントンを楽しめばよいと思います」

 則子選手が国際大会に挑んだのは2006年にマレーシアで開催されたフェスピック(極東・南太平洋障害者スポーツ大会)から。実力を磨き、今回、東京パラリンピックへの出場を果たした。

 「健常者でもスポーツや趣味などをやるときに最初からうまくできるわけではありません。練習によって徐々にスキルアップしていくのだと思います」

 則子選手は日本福祉大学バドミントン部の練習に参加させてもらった。「経験やスキルがあるコーチが関わっており、とても心強かった」と智幸さん。智幸さんによると、バドミントンは相手に「嫌がらせ」をした方が勝つスポーツだ。前後や左右、とにかく相手が返しにくい所、嫌がる所にシャトルを運ぶ。

銅メダルを獲得した則子選手(右)と鈴木選手

 ◇口出しせずに付き添う

 「今のプレーはここが駄目だよ。こうすれば良かったんだよ」

 「もっとこんな練習をしてみたらどうか」

 智幸さんも同じスポーツをやっていたこともあり、以前はものすごく口を出していたという。しかし、「私が言ったところで何の役にも立たない」と考え直してからは、妻をじっと見守る姿勢に徹してきた。「実際に体を動かすのは妻です。私は付き添っているだけです。パラリンピックを控えた今は特にそうです」。パラリンピック開会が近づいてきた時の智幸さんの言葉だ。

 則子選手のダブルスパートナーは、シングルスでも活躍した鈴木亜弥子選手(34=上肢障害)だ。義足の則子選手の場合、コート上で動ける範囲は少なくなる。鈴木選手がコートの4分の3をカバーするという戦略で臨んだ。

 ◇コロナ下、自宅で応援

 パラリンピックも、新型コロナウイルス感染拡大の影響で無観客となった。残念なことに、家族も会場に応援に駆け付けることができなかった。「今回はおとなしく名古屋から犬と一緒に画面越しに応援することにします。個人的には、けがをせず当日を迎えてもらえればいいな、と思っています」。パラリンピック前に智幸さんは語っていた。

 大会閉幕直前の9月4日、則子選手たちの3位決定戦の相手は智幸さんの予想通りフランスのペアとなった。それまでの対戦成績は、2勝0敗。「実力通りなら勝てるとは思いますが、何が起こるか分からないのがこの舞台なので安心はしていません」。智幸さんは気が気ではなかったようだが、日本ペアは力を出し切った。

 銅メダルに輝いた則子選手は「多くの方の支えや応援によって無事大会が開催され、感謝の気持ちでいっぱいです。この経験を次につなげていきたいです」とコメントした。(了)

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