特集

なぜ医師として福島で働くのか(3)・完
~キャリアと震災関連活動、両立に至る道筋~ 公益財団法人ときわ会常磐病院 外科医・臨床研修センター長 尾崎章彦(福島県立医科大学特任教授)


2015年11月28日 南相馬市立総合病院の病棟にてネパール人医師訪問時、筆者向かって右端、2番目塚田医師、3番目大平医師

2015年11月28日 南相馬市立総合病院の病棟にてネパール人医師訪問時、筆者向かって右端、2番目塚田医師、3番目大平医師

 ◇腕を磨ける環境

 もう一つ、筆者が南相馬市立総合病院に残ることを選択する上で大きかったのが、所属した外科部門の体制でした。当時は部長の大平広道医師(現副院長)、筆者と同時期に赴任した塚田学医師、そして筆者の3人体制で、ベテラン、中堅、若手という構成でした。

 大平医師がご自身で手術されることは多くなく、積極的に筆者に手術の術者を割り振ってくださいました。その結果、非常に多くの手術で執刀医としての経験を積むことができました。また、筆者にとってありがたかったのは、一部の疾患を除いては原則、腹部の手術は開腹で実施されていたことでした。実は同院での勤務を希望した大きな理由の一つは、開腹手術を執刀医として数多く経験できるという点でした。

 術後の患者の回復を考慮すると、腹腔鏡下での手術が望ましいことは言うまでもありません。一方で、前回(1月31日号)述べましたが、筆者は腹腔鏡手術が苦手でした。それだけに、改めて開腹手術の手技を磨くことができる同院の環境に魅力を感じたのでした。

 開腹手術が主たる手術手段となっている状況は、変わりつつある社会のニーズからは乖離していたかもしれません。特に現在であれば、多くの患者は腹腔鏡での手術が可能であれば、それを望むでしょう。一方で、筆者が現在に至るまで、しばしば耳にするのは、若手外科医の間では、開腹手術を中心的に実施している病院でのトレーニングには、一定のニーズがあるということです。なぜなら、自身が執刀する機会がより多くなるからです。伝統的に、外科のトレーニングは開腹手術を中心に構築されてきました。開腹手術では若手医師が術者でも、熟練した指導医が助手を務めていれば、その助手が、助手という立場のまま手術をコントロールすることが、比較的容易です。このため若手医師のトレーニングを実施しつつ、安全に手術を遂行することができます。

 一方で、腹腔鏡手術では、助手の助太刀は、開腹手術と同じようには行えず、その都度助手と術者の役割を交換することが一般的です。そのため、腹腔鏡手術では、一般に、術者により高いスキルが求められる傾向があります。結果として、例えば胃がんの手術などで腹腔鏡手術の術者を任せられるのは、開腹手術でのそれに比べ、より年次が高い医師になりがちです。

 もちろん、術者を務めることだけがすべてではありません。例えば腹腔鏡手術のみならず、ロボット支援下での手術が普及しつつある現在の外科診療のトレンドを考慮すると、このような手術が実施されている医療機関でトレーニングを積んだ方が、より先端的な医療に接する機会は多くあるでしょう。当然、そのような医療機関でのトレーニングをより好む若手医師も多くいます。

 ただ筆者が強調したいのは、地方病院のブランディングに当たり、リソースに恵まれた他の病院と同じような戦略を取っても、医師を惹き付けられないだろうという点です。また南相馬市立総合病院の外科の体制を振り返った時、腹腔鏡手術に人的・物的な投資を行うことは、継続性という観点から疑問が残ります。その点で外科部長の大平医師は、適切なかじ取りをしていらしたと思います。

2016年5月11日 南相馬市立総合病院の会議室においてエジンバラ大学研究者を招いての勉強会、筆者向かって右から2番目、向かって左端が坪倉医師

2016年5月11日 南相馬市立総合病院の会議室においてエジンバラ大学研究者を招いての勉強会、筆者向かって右から2番目、向かって左端が坪倉医師

 ◇若手を育てる

 いずれにしても南相馬市立総合病院では、大平医師の差配もあり、筆者は腹部外科の手術を数多く実施する機会に恵まれました。ただ不思議なもので、同院に赴任後、将来のキャリアとして惹かれたのは乳がん治療でした。これには複数の理由があります。

 一つ目は、治療全体に占める手術手技の割合が他のがん腫に比較して少ないことです。外科医を志したものの、手術手技の上達に頭を悩ませてきた筆者にはありがたい特徴でした。

 二つ目は、乳がん診療は外科医が1人いれば診断から治療まで、おおむね完結させられるという点です。大平医師は、もともと乳がん診療を専門としており、南相馬市で10年以上にわたり、同市を含む相馬地方の乳がん患者をおおよそ1人でケアしてこられました。

 三つ目は、社会的ニーズが高いことです。乳がんは女性で最も診断数が多いがん腫であり、日本では18年の新規診断数が9万4519例に上ります。一方で、乳がん治療を専門とする外科医は多くありません。例えば現在、福島県で乳がんの専門医資格を持っている医師は22人にすぎません。裏を返せば、多くの乳がん患者を診療する機会に恵まれ得るのです。

 最後に、乳腺外科は緊急対応が多くありません。日中は外来診療や手術で忙しいのですが、勤務時間外の急患は限定的です。この点は、坪倉医師の下で震災後の健康影響評価に関する活動に従事しようと考えていた筆者にとって、重要な特徴でした。

 以上の点を踏まえ、乳腺外科について大平医師の下で学びながら、坪倉医師の下で震災関連の活動に従事することが、自身のキャリアにとって最も有意義であるとの考えに至りました。ここに来て、ようやく初期研修医時代から感じていた震災への思いを昇華させる、心の準備を整えることができたのでした。その頃には15年の春になっていました。

 ありがたかったのは、大平医師や南相馬市立総合病院がそのような筆者の思いを最大限尊重し、応援してくれたことです。若手を大事に育ててくれる同院の姿勢もあり、結果的に当初思い描いていたよりもはるかに長い期間、南相馬市で仕事に取り組み、実りある時間を過ごすことができました。同院に常勤医として所属した最後の年だった17年には、東京のがん専門病院に病院の支援を受けながら国内留学もさせていただきました。

 南相馬市立総合病院のブランディングの本質は、若手を大切にする姿勢であったと筆者は考えています。 (時事通信社「地方行政」2022年2月28日号より転載)

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