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そもそも健康教育って何?
~日本と海外を比較してみると~ 第6回

 筆者(南谷)は長く続く腹部の違和感のため、2022年2月に人生で初めて、一般に「胃カメラ」と呼ばれる上部内視鏡検査を受けました。初めての胃カメラ体験は、担当医師の腕が良かったのか、それほどの苦しさもなく10分くらいで終了したと思います。結果は残念ながら慢性胃炎で、原因はピロリ菌が胃の中に感染していたせいでした。このピロリ菌は長年感染していると、胃がんの発症率を引き上げてしまうことが知られています。

健康とは?病気とは?

健康とは?病気とは?

 ◇筆者の言葉は何だったのか

 このことはだいぶ以前から知られていて、胃炎の患者を主な対象に、抗菌薬によるピロリ菌の駆除が進められてきました。ですから、2017年の報告では1990年生まれのピロリ菌の感染率は15.6%、2000年生まれでは6.6%にまで低下してしています。このため筆者自身、出張講座などで「今の中高生は胃がんの原因となるピロリ菌の感染率(陽性率)は5%くらいだろうから、僕も皆さんもそれほど胃がんになる心配はしなくていいですよ」と話していました。あれは何だったのでしょうか。

 私自身については、抗菌薬を服用してピロリ菌を除菌したので症状は無くなりました。では、ピロリ菌発覚前と除菌中、除菌完了後の各段階で、私はそれぞれ健康だったと言えるのでしょうか。実は、「健康とは何か」ということは難しい問題なのです。

 ◇健康の定義と教育

 そもそも「健康」とは何でしょう。第2次世界大戦終了後、世界保健機関(WHO)は健康について「肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(厚生労働白書)や「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にある」(日本WHO協会)と定義しています。つまり「体も心も落ち着いて元気である状態」と言えばよいのでしょうか。

 次に教育とは何かですが、こちらは皆さんが考えている通り「人が社会で自立していくための支援」と言われています。つまり、健康教育とは「健康問題を解決するに当たって、自ら必要な知識を獲得して必要な意思決定ができるように、自ら積極的に取り組む実行力を身に付けることができるように援助すること」です。

 ◇世界の保健教育と日本の違い

 健康教育は単なる知識の習得ではなく、実行力を身に付けるということが目標です。前回で紹介した「ヘルスリテラシー」を向上させることと言ってもよいでしょう。ところで、日本のがん教育は学校の保健体育の枠組みの中で始まりましたが、世界の保健教育はどうでしょうか。さまざまな国で健康に関する教育は進められていますが、その形態は異なっています。米国や中国、韓国、台湾、シンガポールでは、ヘルスリテラシーを「国民の共通教養」とするという観点から、国家基準を設けて学校教育における保健の枠組みで授業を行っています。一方、フランスやドイツは学校保健に関する全体的な目標に基づいて領域横断的にカリキュラムを作成している、と報告されています。

 日本の学校のがん教育では、保健をはじめ、理科や道徳などさまざまな先生の協力を得ています。がん教育自体は保健体育の授業内で扱う内容ですが、2021年度の文部科学省の報告によれば、がん教育の半数程度は道徳や総合的な学習の時間、特別活動の時間に授業が実施されています。私の授業の際にも、がんの成り立ちについて説明する際に理科の先生にフォローしてもらいました。道徳の授業で、小児がんや臓器移植についてみんなで考える時間を設けるといった話も伺っています。

 ◇かける費用はごくわずか

 こうした動きの中で、授業中に出て来る先生方の話は専門分野によって異なることもあります。「自己や他者の健康の保持・増進を図ることができるような能力を育成する」という目標に従えば、日本でも教科横断的な指導をすることが有効なのではないか、と感じています。

 最後に学校教育を超えて、国としての比較を見てみましょう。2015年の予防にかける支出データの国際比較です(https://www.oecd-ilibrary.org/deliver/f19e803c-en.pdf?itemId=%2Fcontent%2Fpaper%2Ff19e803c-en&mimeType=pdf)。少し英語で難しいですが、ご興味がある方はこちらの資料の19ページの図を見てください。経済協力開発機構(OECD)21カ国の平均は「ワクチン」9%、「疾病の早期発見」7%、「健康状態のモニタリング」44%、「情報・教育・カウンセリング」27%、「疫学サーベイランス」11%、「災害準備」2%となっています。これに対し、日本では「健康状態のモニタリング」に8割弱、「災害準備」に2割強(これは日本では重要ですね)などとなっており、健康情報や教育にかける費用はごくわずかです。これもヘルスリテラシーの低さにつながっているのかもしれません。(了)

 南谷優成(みなみたに・まさなり)
 東京大学医学部付属病院・総合放射線腫瘍学講座特任助教
 2015年、東京大学医学部医学科卒業。放射線治療医としてがん患者の診療に当たるとともに、健康教育やがんと就労との関係を研究。がん教育などに積極的に取り組み、各地の学校でがん教育の授業を実施している。

 中川恵一(なかがわ・けいいち)
 東京大学医学部付属病院・総合放射線腫瘍学講座特任教授
 1960年、東京大学医学部放射線科医学教室入局。准教授、緩和ケア診療部長(兼任)などを経て2021年より現職。 著書は「自分を生ききる-日本のがん治療と死生観-」(養老孟司氏との共著)、「ビジュアル版がんの教科書」、「コロナとがん」(近著)など多数。 がんの啓蒙(けいもう)活動にも取り組んでいる。

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