こちら診察室 がんを知ろう
行動変容に結び付ける
~ヘルスリテラシー向上のために~ 第14回(完)
ヘルスリテラシーを向上させ、単に知識を身に付けるのではなく、正しい知識や考え方に基づいて行動を変えていく「行動変容」に結び付けることが重要です。つまり、がん教育(健康教育)の目的は、「がんを通じて(将来的な)ヘルスリテラシーを向上させ、より幸せに生きられるように行動変容を起こすこと」であると思います。
このように目的が定義できました。次は目的を達成できたかどうかの評価を考えなければいけません。もちろん、がん教育を受けた直後にがんの知識が増えることは大事なことですが、それだけでがん教育の目的を満たせているとは言えません。小学校、中学校、高校と継続的にがん教育や健康教育を受けることで、成人した後のヘルスリテラシーを向上させることができれば、それは素晴らしい成果だと言えます。ヘルスリテラシーには数値化できる評価法もあり、それらを利用して個人のヘルスリテラシーを測定することができます。
健康で幸せに生きるためには
◇良い行動とは
重要なのは行動変容です。具体的な例を挙げて考えてみましょう。どんな行動変容が起これば、みんなが、より幸せに健康に生きられるようになるのか考えるのです。
例えば、たばこを吸う人が減ったり、お酒を飲み過ぎる人が減ったりすることは直接的にがんなどの病気のリスクを下げます。また、健康的な運動習慣を持ったり、食べ過ぎに注意したり、しっかり睡眠時間を取ったりすることが健康上プラスの効果をもたらすと言ってもよく、皆さんの同意をもらえそうです。「体調が悪ければ病院を受診する」「インターネットなどで病気の情報を吟味する」「推奨されたがん検診を受ける」 これらも良いでしょう。
自分自身のことだけではありません。「体調が悪い人に優しく接する」「バリアフリーの導入に積極的になる」「国の医療のあり方について考える」などなど。個人の枠組みを超えて社会の問題に対してアプローチする、これも非常に良い行動です。
◇疑問を持つ行動
一方、「健康のためにサプリメントを飲む」ことはどうでしょうか。過剰摂取は逆効果のこともありますし、安全性が確認されていないサプリメントもあります。「油ものは食べない」 肥満傾向にある人ならいいのでしょうが。「毎日20キロ走る」 マラソン選手なら良いでしょうが、一般の方だとオーバートレーニングが心配です。「できるだけたくさんの健診を受ける」 過剰診断につながる可能性がありますし、効果が証明されていない健診もあります。だんだん怪しくなってきました。
さらに、「ネットに出ている健康情報は何でも信じる」「子どもの目の前でたばこを吸う」「自分が元気であれば、他の人はどうでもよい」などはどうでしょうか。ここまで来れば、さすがに悪い方向への行動変容ですね。どのような教育や情報提供がなされたか、確認すべきかもしれません。
◇研究すべき課題は多い
実際の学習過程での健康教育によって、どんな行動変容を起こせるのか。これまでの報告の中では、「喫煙」に着目したものが多く、その結果は比較的長期の有効性があると言われています。しかし、それでも確実とは言い切れないのが実情です。
学校でのがん教育に関し、数カ月後まで知識や意欲が向上することなどが報告されていますが、短期間の評価であり、行動変容については全くの不明です。がん教育の全国スタートによって日本の健康教育は一歩進展したと思います。それでも、日本の健康教育が本当にヘルスリテラシーの向上につながるのか、どういった方向性への行動変容が起こせるのか、その評価はどのように行うのが適切なのかといった、まだまだ研究しなければならないことはたくさんあります。
◇より幸せに生きる
ここまで、がん教育(健康教育)の目的は「がんを通じて(将来的な)ヘルスリテラシーを向上させ、より幸せに生きられるように行動変容を起こすこと」であると書きました。「より幸せに生きられるように」というフレーズを入れたのは私です。よく使われる世界保健機関(WHO)の健康の定義は、「完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」です。では、がん患者はもう健康とは言えないのでしょうか。生まれつき指が6本ある人や4本の人はどうでしょう。身長が低い人や太っている人は…。そもそも「健康に生きる」のは人生の目的なのか、人生を楽しむための手段やその結果なのか。疑問を言いだすと切りがありません。
結局、「みんなで幸せに生きるための力を身に付けようというのが、(健康)教育なのではないか」というのが私の持論です。これをどう評価するのか、非常に難しいですね。私には見当も付きません。ただ、評価することは難しいですが、がん教育が始まったことが原因で、何かが悪くなるということはおそらくなさそうです。
◇楽しく考える
子どもたちが学校でがんについて学んで、今度は家庭で家族と一緒にがんや病気や健康について考える。さらにそれがフィードバックされて会社や地域で病気や健康や幸せに生きることが議論されていく。健康についてみんなが楽しく考える機会が増えれば良いと思います。「エデュテインメント(Edutainment)」などもどんどん広がると良いですね! ちなみに、Edutainmentとは教育(Education)とエンターテインメント(Entertainment)を組み合わせた造語で、教育的要素があるエンターテインメントを指します。
これまで連載をお読みいただき、ありがとうございます。がん教育が始まったことを知っていただき、ヘルスリテラシーについて考える、その一助となれば、これほどうれしいことはありません。(完)
南谷優成(みなみたに・まさなり)
東京大学医学部付属病院・総合放射線腫瘍学講座特任助教
2015年、東京大学医学部医学科卒業。放射線治療医としてがん患者の診療に当たるとともに、健康教育やがんと就労との関係を研究。がん教育などに積極的に取り組み、各地の学校でがん教育の授業を実施している。
中川恵一(なかがわ・けいいち)
東京大学医学部付属病院・総合放射線腫瘍学講座特任教授
1960年、東京大学医学部放射線科医学教室入局。准教授、緩和ケア診療部長(兼任)などを経て2021年より現職。 著書は「自分を生ききる-日本のがん治療と死生観-」(養老孟司氏との共著)、「ビジュアル版がんの教科書」、「コロナとがん」(近著)など多数。 がんの啓蒙(けいもう)活動にも取り組んでいる。
(2023/10/06 05:00)
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