ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~
コロナ禍で激変した車椅子生活
~憧れの自由な一人暮らし~ 【第13回】
こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。
「車椅子インフルエンサー」と勝手に名乗り始め、自主講演会やSNS発信、メディア出演やYouTube活動を始めた2019年が、あっという間に過ぎ、新しい仕事が少しずつ増えていた20年初め、突然新型コロナウイルスが世界中にまん延し始めました。少しずつ先の仕事がキャンセルになり、緊急事態宣言が出されると、半年先の仕事まで全て白紙状態に。コロナ禍で私の生活も激変しました。
講演会やメディア出演など、車椅子インフルエンサーとしての仕事をコロナが直撃
◇コロナ禍で仕事が白紙に
20年初めには、航空会社の方々と組んで行うバリアフリーツアーの海外旅行や地方での講演会、ファッションショー出演、地方でのドキュメンタリー番組の撮影など、今までやったこともない仕事がたくさん待ち受けていて、今年は忙しくて新しい挑戦の年になるんだろうなと期待と興奮に満ちあふれていました。
それらが全てなくなり、それまでちょっと調子に乗っていた自分の鼻は、いきなり折られました。自分の人生も、日本の社会や世界情勢の先も見えない状態が続き、外出もできなくなり、数日に1回、母とスーパーに行くこと以外やることがなくなりました。
車椅子モデルとしてファッションショーにも出演
会社員や事務系の仕事をしている友人たちが緊急事態宣言中も今までと変わらず仕事をしている姿を見て、自分だけ何もしていないことでさらに不安になり、自信を失っていきました。突然仕事が増えたり、なくなったりする不安定な職業を選んでしまったんだなと改めて感じました。
気持ちを切り替えて、今まで忙しくてできなかったことをする機会だと自分に言い聞かせ、大好きな映画をたくさん見たり、今まで苦手だった読書をしてみたり、YouTubeの動画編集をしてみたりして過ごしていましたが、車椅子インフルエンサーとして発信できなくなったことで、やり場のない焦りと不安に襲われる日々が続きました。
ステイホーム期間中、YouTube生配信が日課のようになった
◇YouTubeで生配信
そんなある日、YouTubeで一人で生配信をしてみました。大好きな「モンスター」というスポーツドリンクを全種類飲んでみる、というテーマで4時間しゃべり続けました。最初は視聴者もあまりいなくて、一人でしゃべるのは緊張しましたが、緊急事態宣言中に家にいる人がちょっとずつ見に来てくれました。
楽しかったので翌日も生配信をしました。ステイホーム期間中、私を含めて孤独だと感じる人たちが交流できる場ができて、気付けば日課のようになっていました。
ここで問題が。YouTube生配信を行っていた場所は実家。毎回夜中まで、時には朝まで部屋で一人でしゃべっている声がうるさいと母に怒られたのです。確かに迷惑です。でも、申し訳ないという気持ちと同時に、もっとYouTube撮影や生配信を自分のペースでやっていきたいと思いました。「この時間を大切にしたい。これは意味のあるものだから」。そんな思いが強くなり、一人暮らしを決意しました。
バリアフリーなマンションで自由な一人暮らしが始まった
◇自由な一人暮らし
私はアメリカ留学中に一人暮らしを経験しましたが、日本に戻ってからはずっと実家で生活していました。実家から最寄り駅まで徒歩で20分かかり、急な坂があるため、外出のたびに母が車で駅まで送り迎え。家の玄関の昇降機を使うのも煩わしく、近所のコンビニに、ふらっと行ける健常者に憧れていました。「好きな時にふらっと外出できる日常を送ってみたい」。そんな思いもずっとあり、このタイミングで一人暮らしをする決心がつきました。
ネットで物件探しを始め、さまざまな管理会社にメールで連絡し、車椅子でも入れるマンションがないか聞きました。友人と一緒に内見にも行きましたが、どれも玄関やお風呂やトイレに段差があったり、狭かったりして車椅子で入れません。何軒も内見してやっと、実家から近く、玄関にもお風呂にもトイレにも段差がなく、車椅子でも入れる物件を見つけました。
そうして20年7月から、私のYouTubeスタジオと化した部屋で一人暮らしが始まりました。何もない新居にベッドや机や生活に必要な雑貨をそろえ、少しずつ部屋が完成していく様子を生配信し、YouTubeの動画にもしました。「好きな時にちょっとコンビニに行く」ということもできるようになりました。
部屋が完成していく様子も生配信
車椅子に乗っていると、一人でちょっと外へ出ることもおっくうな方々がたくさんいると思います。誰かの介助が必要だと、なかなか家から出づらいもの。私もそうでした。だから、一人でコンビニに行けたことが、すごくうれしくて自信につながりました。
朝起きて、「きょうは映画を見たいなぁ」と思ったら、駅まで車椅子で自走していけることだけでも自信になる。そこから電車に乗って映画館へ行き、帰りにスーパーで買い出しをして、家でご飯を作って、掃除、洗濯。疲れるけど、その疲れがうれしいんです。「一人でなんでもできる」って思えるから。
コロナがはやっていなければ、忙しい日常にかまけて実家暮らしのままだったと思います。コロナによって失った仕事はたくさんあるけれど、得たこともたくさんありました。そして、コロナ禍でもリモート講演会やソーシャルディスタンスを保った上でのイベントなどが行われるようになり、少しずつ仕事も増えていきました。
大腿骨が真っ二つ
◇思い掛けない大腿部骨折
一人暮らしを始め、自由な生活を手に入れ、少しずつ楽しくなってきた頃に、またもや事件が。ある日、落とした携帯を取ろうと前かがみになったら「ボキン」と右の太ももで音が鳴りました。その後、特に腫れたりしませんでしたが、ちょっと頭が痛くて熱っぽい日が続きました。YouTube編集の締め切りに追われ、寝ないで編集をしていたせいだと思っていました。
3日後の朝、起きて体の向きを変えようしたら、今度は右足で「シャリッ」という音と共に骨が響く感じが上半身に伝わってきました。でも、足を見ても異常はなく、普段通り1時間筋トレをしました。ところが、トイレに行こうとしたら、いつもは手を使って上半身を移動させると勝手に下半身がついてくるのに、右足だけグラグラでついてきません。見る見るうちに右の太ももが太くなって怖くなり、近所の整形外科へ行きました。
「失神レベル」の骨折に3日間も気付かなかった
お医者さんが、「これ、感覚があったら失神してるレベルだよ」と言って見せてくれたレントゲン写真には大腿(だいたい)骨が二つにポッキリ折れているのが写っていました。3日前に「ボキン」と音がした時に折れたのか、その時はひびが入った程度で、その日の朝に「シャリッ」と何かが響く感覚があった時に折れたのか、いまだに分かりません。すぐに救急車で大学病院に運ばれました。
私は、おへそから下の感覚が一切ありません。なので、トイレに行きたいという感覚もなく、普段は3~4時間に1回、トイレに行って排尿をし、3日に1回、下剤を飲んで排便をしています。感覚がないので痛みも分かりません。足がグラグラして膨れ上がるまで、骨折していたことにすら気付きませんでした。
◇感謝を忘れずに
車椅子に乗っていても足の感覚があると、足の疼痛(とうつう=しびれのようなもの)などで日常生活に負担がかかっている方もいます。感覚が全くない私はラッキーだと思っていましたが、痛みを感じない分、人一倍気を付けていないといけないと、この骨折で学びました。
搬送先の病院で足にボルトを埋め込んで固定する手術を受け、全治3週間~1カ月と診断されました。感覚のない私は、痛みよりも翌日からの講演会の仕事ができなくなることへのショックが大きくて泣き崩れました。
ボーダーレスファッションのモデルも務めた
「せっかくコロナで失った仕事が戻ってきたのに、また何もできなくなる」。目の前が真っ白になり、救急車の中で泣きながら生配信をしました。きちんと救急隊員さんから許可をもらっていましたが、「救急車からやるなんて不謹慎だ!」「常識がなさ過ぎる!」といった怒りのコメントから、「勇気をもらった」「リアルな状況を発信するユーチューバー魂を感じた」というコメントまで、ざまざまな反応がありました。
足を固定した状態での車椅子移動はとても大変で、ベッドから車椅子に乗る時、トイレに行く時、毎回看護師さんに手伝ってもらわないとできませんでした。初めて病院内のコンビニに行った時も、病院の大きな車椅子をうまくこげず、棚にぶつかって物を落としたり、人に当たったりして、「すみません」ということが増えて、車椅子になったばかりの頃の自分を思い出しました。
車椅子になっても、できること、できないことは状況によって変わるし、できるようになるまでは誰かの手を借りることも大切。でも、一人でできるようになった途端、サポートしてくれた人への感謝を忘れてしまうことがあります。人に支えられてこその人生。私の場合、忘れるたびに何かが起きて、それを思い出している気がします。(了)
中嶋涼子さん
▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴
1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。
2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。
中嶋涼子公式ウェブサイト
公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」
(2022/01/10 05:00)
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