ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

「車椅子インフルエンサー」として活動開始
~講演活動や動画配信~ 【第11回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 車椅子女子の仲間3人で「BEYOND GIRLS(ビヨンドガールズ)」として2018年にデビューし、1年が過ぎようとしていた頃から、私はイベントなどで話す技術をもっと高めなければいけないと感じ始めました。メンバーの一人の梅津絵里が体調を崩して休養するタイミングで、一度3人での活動を休止。「車椅子インフルエンサー」という肩書を名乗り始めたのは、その頃からです。

障害者のリアルを講演を通して発信

障害者のリアルを講演を通して発信

 ◇新たな肩書

 「車椅子インフルエンサー」は、私がテレビに出演するときに「車椅子タレント」と言われるのが嫌で思いついた肩書です。車椅子ユーザーとしての自身の経験や挑戦を伝えることで、障害者や車椅子のイメージをポジティブで身近なものに変えること、障害者と健常者の壁を壊すこと、今までにない車椅子の女子として可能性を伝えること―。これらをメインに活動していきたかったので、「インフルエンサー」という言葉がいちばん近いのかなと思い、「車椅子インフルエンサー」と言い始めました。

 まず一人でやってみたかったのは、YouTubeチャンネルの開設です。もともと映画の編集マンだったので編集の技術はありました。問題は、一人で撮影をして話すということだけでした。

 BEYOND GIRLSの3人で話す時は、リーダーが話をまとめてくれている横で私がふざける、というようなメンバー同士の連携プレーがあり、どこか人任せな部分がありました。ところが、初めて一人で部屋で撮影をした時は、誰も突っ込んでくれないので、恥ずかしさを捨てないとカメラの前で伝えたいことを伝えられませんでした。自分一人でしゃべる姿を見返すたびに恥ずかしくなり、何度も撮り直しました。

YouTubeチャンネルも開設

YouTubeチャンネルも開設

 私は真面目に感動を伝えるというよりは、面白おかしく、つらいことや現状を伝えて知ってもらうことで興味を持ってもらえたらいいな、と思っていました。少しふざけたり、面白くしたりしながら自分の経験を話すスタイルで自己紹介動画を撮影してみました。それを編集し、ユーチューバーとしてデビューしたのが19年7月1日です。

 その後、BEYOND GIRLSのリーダーである小澤綾子が、車椅子トラベラーの三代達也さんを交えた3人で、「車椅子で経験した海外」をテーマに講演するというイベントをセッティングしてくれました。旅行好きの綾子はいろいろな国に旅行をしてきた経験を、三代さんは世界一周した経験を、私はアメリカ留学した経験を話しました。初めて人前でパワーポイントを使って講演。とても緊張しましたが、たくさんの人が聞きに来てくださり、質問もしてくれました。その中には小学校時代の恩師もいて、「とても感動した」と言ってくださいました。

鉄棒遊びをしていて歩けなくなった母校の校庭で恩師と

鉄棒遊びをしていて歩けなくなった母校の校庭で恩師と

 ◇母校で凱旋講演

 その恩師が、今度は私の母校で凱旋(がいせん)講演をしてほしいと誘ってくれました。自分が通っていた小学校で講演をすることはとても感慨深く、歩けなくなった場所である校庭の鉄棒の場所に行って当時の様子を話し、その時の先生の心境を聞いていたら、歩けなくなった時のことを思い出して涙が止まらなくなりました。先生自身も「あの時、何もできなかったことをずっと悔やんでいた」と打ち明けてくれて、先生が申し訳ないと思っていたことを初めて知りました。

 原因不明で歩けなくなり、誰の責任でもないのに、みんなが悔しい思いをしていた。それを20年以上たって、やっと吐き出すことができたのです。私も車椅子になってからもサポートしてくれた小学校の先生に、ようやくきちんと感謝を伝えることができて、ずっと心に残っていたわだかまりのようなものが飛んで行きました。

 その後は、活動がどんどん広がっていきました。講演のほかにも、自身のYouTubeチャンネルで、人には言いにくい「排尿障害」「排せつ障害」「性」の悩みを赤裸々にちょっと面白く話してみたり、知り合いの車椅子ユーザーとコラボしてみたり。試行錯誤しながらテーマを決めて動画を作っていきました。

講演後は子どもたちの車椅子に対する意識も変わっていく

講演後は子どもたちの車椅子に対する意識も変わっていく

 ◇感受性豊かな子どもたち

 私は車椅子インフルエンサーとして「講演会」「メディア出演」「YouTube」の3本柱をメインに活動しているのですが、私が大好きなのは、小中高大学など教育現場での講演会です。

 感受性豊かな子どもたちの前で、自分がなぜ車椅子になったのか、どうやって車椅子の自分を受け入れたか、どんなことができるのかなどをお話しした後に、実際に子どもたちと交流すると、初めは車椅子の私を不思議な目で見ていた子どもたちが車椅子を押してくれたり、腕相撲対決を挑んできたりします。一緒に私の得意なけん玉をして遊ぶこともあります。すると、子どもたちの中で車椅子に対する意識の壁が壊れていくのを感じます。その雰囲気がすごく好きなのです。

 私は9歳で突然歩けなくなってからも普通学校に戻ることができて、周りはみんな健常者の子供たちだけでした。そんな健常者の友達に手伝ってもらいながら、一緒に小中高校を歩んできたのです。気付いたら、彼らに手伝ってもらうことが自然になっていました。

 大人になった今でも、当時の友達に会うと、みんなが自然と「あそこに車椅子用トイレあったよ」とか、「階段みんなで持ち上げよう」「男子が抱っこして」みたいに、自然と車椅子の自分を受け入れてくれる会話が生まれます。それは、子どもの頃から一緒に過ごしてきたから、みんなもどう接すればいいか分かっているからなんだと思います。

メディア出演は活動の柱の一つ

メディア出演は活動の柱の一つ

 子どもの頃から車椅子や障害のある友達がいなかった人が、大人になって突然障害者と触れ合った時に、どうすればいいか分からず戸惑うのは当然です。その戸惑う感じを、社会人として会社に勤め出してから肌でたくさん感じました。みんながすごく気を使ってくれること、どうすればいいか分からず困っている様子をたくさん感じてきました。それは交流すれば分かることなんです。

 そんな交流を子どもの頃から当たり前に経験していれば、大人になって障害者と出会っても、身構えることなく自然と交流できる社会になるんじゃないのかな。そんなふうに思うのです。

 だから、私はこれからも、たくさん子どもたちと交流したい。コロナが収束したら、全国の学校を回って講演して、たくさんの子どもたちと触れ合い、心のバリアフリーを広めていくことが夢です。(了)


中嶋涼子さん

中嶋涼子さん

 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。


 ◆12月16日(木)午後6時30分から東京都豊島区のとしま区民センター小ホールで、「BEYOND GIRLS」で共に活動し、東京パラリンピック閉会式にも一緒に出演した小澤綾子さんとトークと歌のイベント「Enjoy Your Difference 違いを楽しもう~Tokyo2020その先の未来へ~」を開催する。会場参加3000円、録画配信2000円。詳細はこちら

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」

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