ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

排せつ障害を赤裸々に語るワケ
~恥ずかしさを捨てて心が楽に~ 【第15回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 車椅子インフルエンサーとして仕事を始めて約3年がたち、日々、排せつ問題や日常での出来事を赤裸々にSNSや講演会で話していたら、最近よく、「なぜそこまで何でもぶっちゃけて話そうと思ったのですか?」と聞かれることが多くなりました。

車椅子生活のきっかけは校庭の鉄棒での「こうもり」

車椅子生活のきっかけは校庭の鉄棒での「こうもり」

 ◇見た目に分からない障害

 車椅子に乗っている人を見掛けると、「歩けない」「足が悪い」という印象を持つ方が大半だと思います。でも、車椅子に乗っていても必ずしも歩けない人ばかりではありません。歩けるけど時間がかかるから、あるいは体力を温存するために車椅子に乗る人もいるのです。逆に、歩くことはできるけど、はたから見えない障害を持っている人もいます。人は見た目では分からないと、私自身、障害のある仲間と知り合うことで学びました。

 私は9歳の時に、校庭の鉄棒から飛び降りた拍子に下半身がまひして歩けなくなり、「障害者」になりました。車椅子に乗っているので、一目で障害があると思ってもらえます。でも私の中では歩けなくなったことだけでなく、いや、それ以上に、つらいことが他にもたくさんありました。その一つが排せつ障害です。

 おへそから下の感覚がないため、自力で排せつできません。病院に搬送されて寝たきりになっている間にパンツ型のおむつをはかされていて、まずそのことがとても悲しかった。おむつの中に尿取りパッドを入れ、尿漏れするとパッドを交換するのですが、1996年当時の私は尿取りパッドというものの存在すら知りませんでした。そういうものを使わなくてはいけなくなった状況が悲しくて嫌でした。

鉄棒に足を掛けてぶら下がる「こうもり」

鉄棒に足を掛けてぶら下がる「こうもり」

 排便は、看護師さんが「摘便」(直腸に指を入れて便をかき出すこと)をしてくれました。そのことにもショックを受けました。排せつは人間にとって大切な生理現象ですが、とてもプライベートなもの。看護師さんに処理してもらうのは、すごく屈辱的なことで申し訳ないという気持ちにもなりました。

 今まで自力でできていたことができなくなり、赤ちゃんのように排せつのお世話をされることに思春期の私は傷つきました。プライドを捨てないと生きていけないくらい恥ずかしかった。その時にプライドは捨てました。

 その後のリハビリでは、カテーテルという管を尿道に挿入して尿を出す自己導尿のやり方を訓練しました。看護師さんやお母さんの前で練習する時も、とても恥ずかしかったことを覚えています。あの時、同じような状況を経験した同世代の車椅子ユーザーや先輩に教えてもらえたら抵抗が少なかっただろうし、心強かったのにと思います。

 退院してからも、尿取りパッドを常にパンツに当てて生活していました。小学校には替えのパッドをかばんに入れて持っていっていたのですが、ある時、それを見つけた友達に、「何これ? オシメ!?」と言われたことがすごく恥ずかしくて、生理用ナプキンだとうそをついたりもしました。

 周りの先生や大人たちは、私が尿取りパッドをしていることを知っていたので、替えのパッドを先生たちが持ってくれるなど、いろいろな気遣いをしてくれました。でも私はオシメをしているような状況を恥ずかしいと思っていたので、友達には言えなかったし、カテーテルで排尿していることも言えませんでした。たまに尿漏れして着ている服をぬらしてしまった時は、「水をこぼした」とうそをついたり。

障害者のリアルをYouTube動画で発信している

障害者のリアルをYouTube動画で発信している

 ◇隠し続けた排せつ障害

 車椅子生活になって20年以上、私は排せつ障害のことを家族以外の誰にも言わずに隠してきました。学生時代も社会人になっても、そのことでうそをつくことがあり、そのために仲の良い友達との間にも壁を感じていました。

 会社で仕事に集中していて、トイレに行くのを忘れて尿漏れしてしまい、トイレで着替えていたのに、「休憩が長過ぎる」と怒られた時も、尿漏れをしたとは言えませんでした。排便は休みの日に1日がかりでするのですが、会社で「休みの日は何したの?」と聞かれても、「家で寝てました」とうそをついたり、遊びに誘われても、「用事があるから」と断ったり…。そんな自分が嫌でした。

 排せつの悩みについて初めて公に話したのは、車椅子インフルエンサーとして活動し始めてすぐの2018年ごろ、NHKの「B面談議」というEテレの番組に出演した時です。排せつ障害について話してほしいとスタッフの方に言われ、最初は恥ずかしいと思っていました。視聴者の中には、そういう話を嫌がる人がいるんじゃないか、炎上しないか、そんな不安もありました。

 でも本番では思い切って話すことにしました。「下半身まひだから尿を漏らすことがあり、漏らしていないか確認する時に、さりげなくおまたに手を当てて、その手をカッコよく嗅いでチェックをする」と話して、そのしぐさを再現したら、司会の千原ジュニアさんが笑ってくれて、何度も突っ込んでくれました。

使いやすい尿取りパッドも動画で紹介

使いやすい尿取りパッドも動画で紹介

 ◇「オシメ」のイメージをポジティブに

 番組放送後に、さまざまなメッセージが届きました。「あのくだり、面白かった。私も漏らすから、すごい分かる」「さりげなく臭いをチェックするの、分かる」などなど、ポジティブなメッセージが多数寄せられたのです。その時に自分の中で「言ってよかったんだ」と、すごく心が楽になったんです。「これからは、もう隠さなくていいんだ」。そう思うだけで、生きやすくなりました。

 私のように排せつ障害があることで悩み、苦しみ、人に言えずにいる人も、周りの人に知ってもらうことで心が楽になるなら、私はこれからは恥を捨てて、もっと話していこうと決めました。

 それと同時に、障害に伴って排せつ障害を抱えている私たちが、悪いことをしているわけでもないのに恥ずかしいことだと思って隠そうとしてしまうことに疑問を感じるようになりました。尿取りパッドを薬局で買う時も、恥ずかしいからと、こそこそ隠れるようにして買わなくてはいけないのも違う。それは、尿取りパッドやおむつは老人や病人のものというイメージが強いせいでしょう。

 尿取りパッドが女性の生理用ナプキンのように当たり前のアイテムだと思ってもらえるようになれば、障害者の方々も恥ずかしいと思わなくなるのではないでしょうか。だから私は、いつか自分が尿取りパッドのコマーシャルに出演して、すごくカッコよく紹介することで、排せつ障害があるなら若者でも誰でも尿取りパッドを使うのは自然で当たり前のことだというポジティブなイメージに変えられたらと思っています。企画などにも携わって、パッケージのデザインをもっとおしゃれにできたらいいなと。

車椅子ユーザーにとって多目的トイレは切実な存在

車椅子ユーザーにとって多目的トイレは切実な存在

 ◇タブーを越えて発信

 歩いていた時は、当たり前にできていた排せつ。トイレがどこにあるかなんて気にもしませんでした。今は週に2回、排便するための「ウンコデー(UD)」を設けて、一日中トイレの便座の上で便が出るのを待ち続けます。自分が食べる物、食べる量、飲み物の量や種類を常に気にして口に入れ、下剤を飲んだ翌日、いつ出るか分からない便を待つのは、すごく面倒で疲れます。何のために生きているのだろうと虚しくなります。歩けたなら、こんなことに時間とエネルギーを使わなくてもいいのにと怒りさえ覚えます。

 でも排せつは、人間が生きていくために大切な問題です。私は歩けなくなってから、当たり前にできていたことが、実はすごいことだったんだと気付きました。歩けること以上に、普通に排せつできることの素晴らしさを実感します。排せつ障害という、人に言うこともできないタブーな悩みを発信することで、少しだけ自分の中の葛藤が浄化されている気がします。

 程度の差はあれ、世の中には排せつ障害を抱えている人は珍しくないはずです。障害者と触れ合ったことがない人にも、「オシメ」が日常的に欠かせないことを知ってほしいし、排尿でカテーテルを使うことや、排せつ障害で排せつに時間がかかることなども知ってほしい。そうすれば、なぜ車椅子ユーザーが多目的トイレを必要としているかも分かってもらえるのではないかと思うんです。

 歩けないからつらい、歩けないから多目的トイレを使う。それだけじゃないんです。排せつ障害は、当事者が声に出して言わなければ想像もできないことだと思うので発信しています。今の時代、自分とは関係ないことには興味がないという人が多いけれど、皆さんも、ある日突然そんな悩みを持つことになるかもしれない。そう思って知ってもらえたらうれしいです。(了)

中嶋涼子さん

中嶋涼子さん


 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴
 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」

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