ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

障害者の可能性広げる社会へ
~東京オリパラから見えた豊かな世界~ 【第14回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 新型コロナウイルスのまん延で暮らしが一変した2020年。私にとっても、9歳で突然歩けなくなった時のような予期せぬ事態をどう乗り越えて生きていくか、人生を見直す大切な1年でした。コロナ禍で失った仕事に代わる新たな取り組みや一人暮らしが軌道に乗り始め、そして迎えた21年。直前まで開催すべきか議論が分かれた東京五輪・パラリンピックは、私を含めた障害当事者にとって大きな意味を持つイベントでした。

ホストタウンアドバイザーとして福岡県大川市の小学校で講演

 ◇ホストタウンアドバイザーに就任

 コロナ禍真っただ中の20年9月、私は東京大会に参加する海外の選手との交流を進める自治体に、さまざまなアドバイスをする「ホストタウンアドバイザー」に就任しました。大会が開幕するまでの間に、ガーナのホストタウンになった福島県猪苗代町や、ペルーのホストタウンの福岡県大川市などで講演や車椅子講座などを行いました。コロナ禍ということもあり、オンラインでの講演になった所もありましたが、実際に現地に出向いて子供たちと触れ合うこともできました。

 大川市の小学校では私の講演の後、心のバリアフリーを広めるための教材作りも行われました。今、子どもたちの間では「YouTuber」という職業が人気のようで、「YouTuberなの? サインちょうだい!」と言われたり、「車椅子の前輪上げを見せて!」と言われたり、「腕相撲で勝負しよう!」と言われたり。私が特技のけん玉を披露したら拍手が湧き起こり、みんなと一緒にけん玉をして盛り上がったことも忘れられません。

ホストタウンサミットで障害当事者の思いを話した=2021年2月20日、東京都江東区

 カナダの車椅子ラグビーチームを受け入れることになっていた青森県三沢市では、県立三沢高校を会場にオンライン講演会を行いました。講演を聞いてくれた生徒の1人が、私のYouTubeの生配信に毎回遊びに来てくれるようになり、コロナが明けて青森へ行けるようになったら、ぜひ会いたいと話しています。また、別の生徒が「障害者って言い方、失礼だと思うんですけど、何かもっといい言い方ないですかね?」と言ってくれたこともうれしいことでした。

 ◇聖火リレーに参加

 オリパラは無観客開催となりましたが、応募していたパラリンピック聖火リレーに当選して車椅子で参加できたことも一生忘れられません。聖火ランナーは、当選者の中から無作為に選ばれた3人が一つのグループになって決められた場所を走るのですが、同じグループに、なんと、以前習っていた車椅子バスケットボールの恩師で、元全日本キャプテンの多智利枝さんがいたのです。

 会場で、「よっ!元気!?」と突然声を掛けられ、びっくりして振り向いたら多智さんでした。

パラリンピックの聖火リレー会場で車椅子バスケットボールの恩師に再会=2021年8月22日、東京都国分寺市(代表撮影)

 歩けなくなって間もない頃、もともとスポーツが大好きだった私は、車椅子バスケと車椅子テニスを習っていました。しかし、歩けていた時のようにうまくはできず、まだ自分の障害も受け入れられていませんでした。「どうせ車椅子でダサいし」。そんな思いを持ちながらもバスケの練習に毎週参加していました。

 その時のコーチである多智さんは、いつも明るくて前向きで、「車椅子でもなんだってできるのよ」「いろんなやり方があるの」「人生楽しめばいい」。そんなふうに言っていました。でも当時の私は明るく振る舞いつつも、まだどこかで障害者の自分を受け入れられず、多智さんが言っていることも受け入れられませんでした。

トーチを掲げる中嶋さん=2021年8月22日、東京都国分寺市(代表撮影)

 「なんだってできるって言っても結局は何もできない。一人じゃ生きていけない。歩けた方がよかった」。そう思いながら接していたあの日から25年。映画との出合いやアメリカ留学、BEYOND GIRLSとの出会いなどを通して、いろいろなことを経験した今、多智さんが25年前に言っていたあの言葉がやっと分かるようになりました。

 その気持ちを、聖火ランナーとして無観客の会場を走り終えた後に伝えました。「当時は受け入れられなかったけど、やっと今、自分の障害を受け入れられるようになった。つらくて嫌になることもたくさんあるけど、障害者になっていなかったら出会わなかった人々や経験がたくさんあって、すごく濃い人生になった。やり方を探せばできることもたくさんあるし、やろうと思えばどんなことでもできるって、今、やっと思えるんです」。恩師にやっと感謝の思いを伝えることができました。

「インクルーシブな社会」を表現したパラリンピック閉会式=2021年9月5日

 ◇閉会式に出演

 聖火リレーで奇跡のような再会があった頃、もう一つ夢のようなことが起きました。突然、パラリンピック閉会式への出演依頼が来たのです。「車椅子ドラムの奏者としてパフォーマンスをしてみないか」というオファーに、車椅子ドラムというものが想像できず、戸惑いながらも挑戦してみることにしました。そして共演する車椅子パフォーマーがなんと、「小澤綾子」だったのです。

 私が会社員として、夢だった映画の仕事に就きながらも、障害者として日本では生きづらいと感じていた時に偶然SNSを通して知り合った小澤綾子。彼女は筋ジストロフィーという進行性の難病を抱えながら外資系企業の人事部門で働き、休日はシンガー・ソングライターとして講演活動をし、結婚もして主婦でもありました。

 そんな彼女の存在を知って感銘を受けた私は、車椅子インフルエンサーという職業を勝手に作り、発信活動をメインに生きていく覚悟をしました。全ては小澤綾子に出会ったから始まったことです。そんな綾子とパラリンピック閉会式で、一緒にドラム奏者としてパフォーマンスすることができました。まさに奇跡。もしくは運命だったのかもしれない、そんな出来事でした。

 8月の練習初日に、綾子と車椅子ドラムでパフォーマンスした時には、やはり障害があることで、みんなより後れを取ってしまったり、うまくドラムをたたけなかったりして悔しい思いをしました。

車椅子ドラムのパフォーマンスでパラリンピック閉会式に参加=2021年9月5日

 手を動かしづらい綾子は、「もっと手を上げて」と言われるし、足が動かない私は、「もっとリズムを刻んで」と言われてもリズムが取れません。でも、閉会式のステージアドバイザーであり、右下肢に障害のある栗栖良依さんに言われた言葉で、私たち2人にスイッチが入りました。「あなたたちは見た目では元気そうに見えるけど、意外と障害があって人より制限がある。だから自分のできる範囲で、きょうから毎日鏡を見て、自分がどう見られるのか、どうすればカッコよく見えるかを追求してみて。自分らしくでいいから」というその言葉に。

 それからは、毎日鏡を見て見せ方を研究し、綾子や同じ閉会式のチームメンバーと自主練を重ねました。練習のし過ぎで、朝起きたら頭の中がドラム音、夢の中でも閉会式の音楽が流れるほどになりました。

 そして本番。とても緊張しましたが、ドラムをたたきながらバンドメンバーとパフォーマンスをしていたら、すごく楽しくて、テレビで生中継されていることも忘れるほどに楽しんでいる自分がいました。

 ◇「インクルーシブな社会」を目指して

 同じバンドメンバーには、片腕のギタリストや生まれつき腕のない大学生、盲目のドラマー、ピアニスト、人工内耳を着けている中学生といった障害者だけでなく、普段は管楽器ガールズユニットとして活躍している「M O S」の方々などなど、本当にいろいろな人たちがいて、みんなが同じ目標に向かって団結していました。「みんな違うけどみんなが楽しめる場所」。近年よく聞く「インクルーシブな社会」がパラリンピック閉会式にはありました。

 さまざまなバックグラウンドを持つ多種多様な人々の存在を「多様性」と言い、その多様な人々が共に生きる場所をインクルーシブと言うそうですが、パラリンピック閉会式では、年齢、性別、国籍、障害、性的指向などにとらわれず、さまざまな人たちが、同じ空間で同じ目標に向かって向き合いました。もちろん衝突することもありましたが、解決するためにみんなが向き合って話し合い、練習を重ね、結果、みんなが笑顔で楽しくパフォーマンスする姿を世界に発信することができました。

パラリンピックの閉会式で共演した人々を招いてイベントを開き、オリパラのレガシーを再確認=2021年12月16日、東京都豊島区

 私は9歳の時に、突然原因不明のまま歩けなくなり、車椅子生活を余儀なくされてからずっと、「車椅子でカッコ悪い、人と違って恥ずかしい、人と違うことが悲しい」というコンプレックスを胸に抱えて生きてきました。だからこそ、「車椅子でもカッコいいと思われたい」。ずっとずっと、そう思って生きてきました。

 その願いが、パラリンピック閉会式のパフォーマンスを通して実現できた気がして、とてもうれしかった。世界に、車椅子でもカッコよく生きる姿を発信できたことが、とてもうれしかった。車椅子の自分だけじゃなく、さまざまなマイノリティーと呼ばれる方々や、障害の有無に関係なく、みんなが違いを楽しめる場所がパラ閉会式でした。あの「インクルーシブな場所」が日本中に広がったら、日本は誰もが生きやすい社会になると思っています。

 パラリンピックが終わって、その夢も終わってしまうのではなく、これからが本当の始まりだと思っています。 インクルーシブな社会の実現に向けて、パラ閉会式で感じたことを忘れずに、これからも車椅子インフルエンサーとしてたくさんのことにチャレンジして、障害者の可能性をどんどん広げて、誰もが「違い」を楽しめる社会を作っていきたいと改めて感じる最高の経験でした!

 22年1月16日で車椅子歴26年になったのですが、26年前、原因も分からず歩けなくなり、先が見えずどん底にいた時の私に、この言葉を送りたい。「歩けなくなって26年の今、こんなに人生を楽しめるようになったよ。人生は捨てたもんじゃないよ。考え方や人との出会いで、人生って変わるんだよ。車椅子じゃないと見えない世界はとても楽しいよ。だから大丈夫だよ」と。(了)

中嶋涼子さん


 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」

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