医学部・学会情報

シングルセル解析技術を用いCOPD患者における新規の2型肺胞上皮細胞を発見
〜 COPD病態の解明が期待される ―東京慈恵会医科大学〜

 東京慈恵会医科大学内科学講座呼吸器内科の渡邉直昭助教、藤田雄講師、荒屋潤教授、桑野和善講座担当教授、外科学講座呼吸器外科大塚崇講座担当教授らの研究グループは、シングルセル解析技術を用いることにより、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患(COPD)患者の肺において新規の2型肺胞上皮細胞を同定しました。

 主にたばこ煙などの有害物質吸入により生じるCOPDは、世界において死因の第3位、本邦でも男性の死因8位に位置づけられ、肺がんのリスク因子としても知られている慢性呼吸器疾患です。肺や気道に生じる炎症が主な原因と考えられていますが、COPD患者では、健常喫煙者に比べ肺の炎症の異常な増幅が指摘され、この詳細な機序は不明なままです。また禁煙後も炎症が持続することが知られており、この炎症持続のメカニズムも依然明らかになっていません。シングルセル解析技術を用いることで、COPD肺においてこれまでと異なるフェノタイプを有する新規2型肺胞上皮細胞を同定し、炎症持続のメカニズム解明につながる可能性が考えられました。

 この研究成果は、国際科学誌「American Journal of Respiratory Cell and Molecular Biology」オンライン版に掲載されました(日本時間 2022年9月15日公開).

 【概要】
 ●シングルセルRNA-seq注1 を用いてCOPD、非COPD喫煙者、非喫煙者の肺由来から計57,918細胞の遺伝子発現プロファイルを解析しました。
 ● 既知の2型肺胞上皮細胞と異なり炎症のフェノタイプを有する新規の2型肺胞上皮細胞を同定しました。
 ● 種々の解析により同細胞集団は既知と異なる細胞分化系譜により出現し、さらに免疫細胞と強力に細胞間相互作用を来すことが予測できました。
 ●本研究によりCOPD病態のより詳細な解明につながり、ひいては新たな治療開発へとつながることが期待されます。

 1. 背景

 慢性閉塞性肺疾患(COPD)は、喫煙暴露を主体とする環境因子による慢性炎症と肺気腫を特徴とし、肺炎や急性増悪、肺がんなどを合併する疾患です。喫煙暴露以外にも、大気汚染や粉じん吸入、化学物質、幼少期の繰り返す気道感染、ぜんそくなどが危険因子と考えられています。また世界におけるCOPDの疫学として、2019年のWHOの調査では、COPDは死因の第3位に位置づけられています。COPD発症において、たばこ煙などの有害物質による気道や肺の炎症反応が最も重要な危険因子ですが、COPD患者は、健常喫煙者に比べ、この気道や肺の炎症の異常な増幅が指摘されています。炎症細胞と炎症メディエーター、プロテアーゼ・アンチプロテアーゼ不均衡説注2、オキシダント・アンチオキシダント仮説注3、アポトーシス注4の関与、遺伝的素因などが考えられていますが、詳細な機序は不明のままです。さらに肺の炎症は禁煙後も持続することが明らかになっていますが、この禁煙後の炎症持続メカニズムも依然不明のままです。

 肺疾患の病態解明を困難にしている原因のひとつに、肺実質および間葉構造の複雑さが挙げられます。とくに肺には50種類以上の多種多様な細胞種が存在するとされ、その細胞種特異的なメカニズムのみならず、細胞種間の相互作用についても十分に解明されていません。そこで私たち研究グループは、シングルセル解析技術を用いて、COPD病態の解明を試みました。シングルセル解析は、Science誌によって最大のブレークスルーにも選出された、1細胞レベルでの遺伝子発現解析を可能とした技術です。従来のRNA-seqの結果は、複数の細胞種由来の平均の遺伝子発現として得られていましたが、シングルセルRNA-seqでは、数千から数万のひとつひとつの個性を維持したままRNAを抽出して解析することが可能となりました。シングルセル解析を応用し、COPD肺の特に上皮細胞に注目し、COPD肺の炎症に寄与する特徴的な細胞集団の同定や細胞間相互作用の解明を試みました。

 2.研究手法・成果

 9例のCOPD患者、4例の非COPD喫煙者、3例の非喫煙者由来の肺組織から酵素処理にて細胞を単離したのち、10x Genomics社のシングルセル遺伝子発現ソリューションを用いて1細胞ずつをラベル後シングルセルRNA-seqを施行し、計57,918細胞の遺伝子発現プロファイルを解析しました。解析は主にRソフトウエアの‘Seurat’などのパッケージを用いて行いました。間質細胞、免疫細胞、内皮細胞などの各細胞種の遺伝子発現プロファイルを確認後、病態形成に重要と考えられる上皮細胞に注目して解析しました。まず上皮細胞のheterogeneity (不均一性)をCloseness centrality (近接中心性)を応用して定量したところ、COPD肺由来の上皮細胞は正常肺に比して不均一性が拡大し、細胞の多様性が増していることが明らかになりました。上皮細胞の詳細をみてみると、club細胞、goblet細胞、basal細胞などに加え、2種類の1型肺胞上皮(AT1)細胞、3種類のciliated 細胞など複数の細胞種も確認できました。その中で、肺のホメオスタシス注5に重要である2型肺胞上皮(AT2)細胞に注目したところ、既知のAT2細胞と異なる遺伝子プロファイルを持つ新規AT2細胞を同定し、同細胞種はCOPD肺にて増加することを確認しました。このAT2細胞は、CXCL1、CXCL8などのケモカインを発現することを特徴とすることから、われわれはinflammatory AT2 (iAT2) 細胞と命名しました (図1)。免疫蛍光染色を用いて実際の肺組織での検証を行ったところ、CXCL1、CXCL8などのケモカインと共発現するAT2細胞を認め、iAT2の存在を確認しました (図2)。またGene Expression Omnibus (GEO)に登録されている世界における複数の肺のシングルセルRNA-seqデータを統合・再構築し、同データ内においてもiAT2細胞が存在することを特定しました。Pseudotime analysis (疑似系譜解析)によってiAT2細胞出現の細胞分化系譜を予測したところ、組織幹細胞であるAT2細胞からAT1細胞へと分化する既知の細胞系譜と異なる系譜にあることが判明しました。さらにcell-cell interaction databaseより炎症性サイトカインやケモカインに関わるリガンド-レセプターペアを抽出し、その結びつきの強度をスコア化することで細胞種間相互作用の定量化を行いました。iAT2細胞は上皮細胞の全細胞種の中で最も免疫細胞との細胞間相互作用を来し、とくにCD8+T細胞や好中球とのコミュニケーションが多いことが判明しました。

図1

図1

図1

CXCL1、CXCL8などのケモカインを発現する、新規AT2細胞集団を同定し、inflammatory AT2 (iAT2)と命名しました。

図2

図2

図2

COPD肺においてCXCL1やCXCL8と共染色するAT2細胞を認め、iAT2の存在を確認しました。

 3.今後の展開

 私たち研究グループは炎症性シグナルを有し、免疫細胞と強力に細胞間相互作用を来す、既知の細胞系譜と異なる新規のAT2細胞集団(iAT2)を世界で初めて同定しました (図3)。これら炎症性の上皮細胞集団が、COPD病態における炎症持続のメカニズムを説明し、気腫や気道のリモデリングに寄与する可能性が考えられます。生体内における同細胞のさらなる役割の検証を進め、COPD病態の解明を図るとともに、ひいては治療へ応用も検討していきます。

図3

図3

図3

 4.脚注、用語説明

注1.シングルセルRNA-seq:1細胞ごとに転写産物(mRNA)の種類と量を網羅的に検出できる新規技術です。各細胞に特徴的な遺伝子発現プロファイルを元に細胞集団を分類し、亜集団に特徴的な発現情報を取得することが可能です。細胞集団に含まれる細胞タイプの種類、割合、そして各細胞タイプに特徴的に発現する遺伝子を同定できます。
注2.プロテアーゼ・アンチプロテアーゼ不均衡説:タンパク質分解酵素とタンパク質分解酵素阻害のバランスが崩れることで、COPDが進行するとされる仮説です。
注3.オキシダント・アンチオキシダント仮説:酸化と抗酸化の均衡が崩れることで酸化ストレスを引き起こされることでCOPDが進行するとされる仮説です。
注4.アポトーシス:細胞死のことを表し、細胞死を引き起こす機序の違い、そのクリアランスの異常が COPD の病態に関与しているとされています。
注5.ホメオスタシス:恒常性ともいい、生物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことです。

  5. 論文タイトル,著者

掲載誌名: American Journal of Respiratory Cell and Molecular Biology
論文タイトル:Anomalous epithelial variations and ectopic inflammatory response in chronic obstructive pulmonary disease
https://doi.org/10.1165/rcmb.2021-0555OC
著者:Naoaki Watanabe1,2, Yu Fujita2*, Jun Nakayama1, Yutaro Mori3, Tsukasa Kadota2, Yusuke Hayashi1, Iwao Shimomura1, Takashi Ohtsuka4, Koji Okamoto3, Jun Araya2, Kazuyoshi Kuwano2, Yusuke Yamamoto1
著者(日本語表記):渡邉直昭1,2, 藤田雄2*, 中山淳1, 森裕太郎3, 門田宰2, 林祐介1, 下村巌1, 大塚崇
4, 岡本康司3, 荒屋潤2, 桑野和善2, 山本雄介1
*藤田雄 (責任著者)
1. 国立研究開発法人国立がん研究センター研究所病態情報学ユニット
2. 東京慈恵会医科大学内科学講座呼吸器内科
3. 国立研究開発法人国立がん研究センター研究所がん分化制御解析分野
4. 東京慈恵会医科大学外科学講座呼吸器外科
6. 主な研究資金
科学研究費助成事業 基盤研究(B) 21H02930 研究代表者:藤田雄


以上




医学部・学会情報