女性アスリート健康支援委員会
ヨーコ・ゼッターランドさんが母と米国に学んだこと
米国でスウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれ、バレーボール選手としてジュニア時代から将来を嘱望されたヨーコ・ゼッターランドさん。早稲田大学卒業を機に、米国籍を選択して米代表チームに入り、1992年バルセロナ、96年アトランタと2大会連続で五輪に出場、バルセロナ大会では銅メダルに輝いた。日本に戻ってバレーを続け、30歳で現役を引退。現在は日本スポーツ協会常務理事で、協会の女性スポーツ委員会委員長も務める。米代表当時の忘れられない思い出や、スポーツと健康に対する考えなどを聞いた。(3回連載)
ヨーコ・ゼッターランドさん 1969年、米サンフランシスコ生まれ。日本名は堀江陽子。母と共に6歳で日本に移り住み、中学、高校時代からバレーボールの全国大会や世界ジュニア選手権で活躍。早稲田大学時代は関東大学リーグ6部から2部にチームを押し上げた。91年に単身渡米し、米代表チームのトライアウトに合格。92年バルセロナ五輪で銅メダル、96年アトランタ五輪では7位に入賞した。
日本に戻り、ダイエーオレンジアタッカーズとプロ契約を結んでチームのVリーグ優勝などに貢献。99年の引退後はスポーツキャスターや日本バスケットボールリーグ理事を務めるなど、バレー以外の分野にも活躍の場を広げた。現在、日本スポーツ協会常務理事。2020年の東京オリンピック・パラリンピックにも組織委員会理事として関わる。