「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿
リゾートで作業着、それもアイデンティティー
~法医学者ら、沖縄南部で戦没者の遺骨を掘る~ 【第4回】
◇壮絶な地上戦の記憶が
午前10時すぎに始まった遺骨収集作業は、コンビニで大量に調達したおにぎりの昼食を挟んで午後3時すぎまで続いた。炎天下の狭い場所での活動とあって、誰もが泥まみれ、汗まみれで、配られたペットボトルの水を一気に飲み干す人の姿も見られた。
凍らせたお茶や水のペットボトルをポケットに入れ、暑さに耐えられないと感じたら、それを頭や首、頬などに当てて冷やすという方法が功を奏したのか、体調不良を訴える人はいなかった。
ガマの中で作業する長崎大関係者。限られたスペースの中で、慎重に土をどける=2023年8月12日、沖縄県糸満市山城
ガジュマルの根元にあるガマの土中からは、手のひらに入るような小型の円筒形の遺物も発見された。具志堅さんはそれを手に取り、丁寧に泥を落とすと、「旧陸軍の九九式手りゅう弾だ」と説明した。
信管などはなくなっており、危険性はないとのことだった。収集された骨の中には火炎を浴びたように黒く変色した骨片もあり、いずれも壮絶な地上戦の記憶を生々しく今に伝えていた。
◇6回目の収集活動
日本法医病理学会による沖縄での自主的な遺骨収集活動は今年で6回目になる。きっかけは、長崎大医学部出身で、同学会の名誉会員も務める秋野公造参院議員(医学博士)からの打診だった。
28歳の頃から仕事の傍ら戦没者の遺骨収集を続けてきた具志堅さんの、遺骨を少しでも早く遺族の元に帰してあげたいとの思いを受け止めた秋野議員から、「どうだ」と声が掛かったという。
今年は、議員本人は欠席したものの、高校生の子供さん2人を含む計21人が参加。戦没者遺骨のDNA鑑定を厚生労働省から委託されている12の大学の一つである大阪医科薬科大法医学教室の技術員も初めてガマの現場に足を運び、収集の状況を目にするとともに、具志堅さんの話に直接耳を傾ける機会を持った。
5回目となった長崎大からは、医学部学生も含め6人が参加した。池松教授は、「法医学はともすれば法医解剖や死体検案だけが業務と見なされるが、沖縄の遺骨収集はまさに医学的解明助言を必要とする法律上の案件だ」と意義を指摘する。
ガジュマルの根元にあるガマから見つかった脛骨。表面にはコケが生えていた=2023年8月12日、沖縄県糸満市山城
さらに、「長崎大医学部は原爆で被災した唯一の医科大学。学生にとっては原爆被災のみが戦争の記憶となっていることに危惧を抱いていたが、遺骨収集によって、無垢(むく)の民間人も悲惨な地上戦に無理やり巻き込まれてしまう現実を知ってもらい、平和のありがたさを感じてもらいたい」と語る。
今年は発見に至らなかったが、2021年は二つのガマから計81本の歯を収集。山下助教らの形態学的分析の結果、歯によるヒトの個体数はそれぞれのガマで、8個体と9個体と推定された。
その中には乳歯もあり、見つかった下顎骨は女性とみられることから、ガマの中には子どもや女性といった民間人も混在していたことが推察できると学会誌「法医病理」に発表した。兵士らと同じ場所で命が絶たれた住民がいたことを示唆しており、こうした検証は「戦争による被害を今後継承していく上で非常に重要」と記している。
(2023/09/01 05:00)