「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

リゾートで作業着、それもアイデンティティー
~法医学者ら、沖縄南部で戦没者の遺骨を掘る~ 【第4回】

 ◇沖縄の未収容遺骨2673柱

 本土決戦準備の「時間稼ぎ」にされたともいわれる沖縄戦は、米軍が慶良間諸島に上陸した1945年3月26日から始まり、4月1日の沖縄本島上陸以降、日米の主な戦闘は本島南部で行われた。旧日本軍の組織的な戦闘は司令官らが自決した6月23日で終わったが、その後も抵抗は続き、9月7日の降伏文書調印で終結した。

見つかった旧日本軍の遺物。飯ごうとみられる=2023年8月12日、沖縄県糸満市山城

見つかった旧日本軍の遺物。飯ごうとみられる=2023年8月12日、沖縄県糸満市山城

 沖縄県によると、犠牲者は日米合わせて約20万人。日本側の死者は18万8136人を数え、このうち県出身者は12万2228人(一般人9万4000人、軍人・軍属2万8228人)に上る。

 沖縄県平和祈念財団戦没者遺骨収集情報センターによると、今年3月末現在、収集された遺骨の累計は18万5463柱で、未収容遺骨数は2673柱とされる。2022年度は46柱が収容された。

 沖縄県では、戦没者遺骨を発見・収集した際の連絡フローが決められている。発見者は市町村もしくは戦没者遺骨収集情報センターに通報するととともに、警察にも通報。事件性がなく、戦没者の遺骨と推定される場合に同センターが遺骨を受領または収骨し、仮安置室で保管する仕組みになっている。

 ◇本来なら法医学の分野なのに

 収集活動を続けてきた具志堅さんは、「身元不明の遺骨が見つかったら警察が調べてくれるとか、DNA鑑定をやってくれるとか思っていたが、全然そんなことはなかった。彼らから聞かれるのは、20年以上経過している古い骨かどうかだけ。そこまでで、結局私が自分でセンターに連絡することになる」と語る。

 「山で人骨が見つかったら、本来は法医学の分野ですよね。でもそういう協力体制は沖縄にはない。戦没者遺骨の検証に法医を絡ませるシステムができないか、というのが願いです」と思いを訴えた。

ガマ底部の調査。ヘッドランプで照らしながら、小さな骨片がないか丹念に探す=2023年8月12日、沖縄県糸満市山城

ガマ底部の調査。ヘッドランプで照らしながら、小さな骨片がないか丹念に探す=2023年8月12日、沖縄県糸満市山城

 センターで保管された遺骨は、厚労省から人が来て、検体になるものを選別。東京に持って行き、12の大学に割り振ってDNA鑑定を行っているという。センターによると、これまでにDNA鑑定で身元が判明したのは6柱。いずれも認識票や印鑑など、手掛かりとなる情報があったケースだ。

 厚労省によると、今年5月末現在、遺族との間でDNA鑑定を実施するために保管している沖縄の検体数は1417あり、旧ソ連で採取された検体の6873に次いで、2番目に多い地域となっている。

 翌日は那覇市内の集会施設に場所を移し、今回の遺骨収集活動の検討会を開催。初参加の若手からは、「あまり見つからず、収集された人骨が風化の影響を受けているのを感じた」「あのような環境に人がいたことをこの目で見ることができたのは貴重だった」「戦後間もなく80年がたとうとしている中、解決していない問題があることを知った」などといった感想が寄せられた。

 具志堅さんはその一つひとつにうなずきながら、「見つからなくてもがっかりせずに。犠牲者に近づこうとする行動自体が慰霊なんです」「専門家の皆さんが現場に来てくれたことが画期的」と感謝の念を口にした。


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