女性アスリート健康支援委員会 アスリートの田中理恵は永遠に消えない ~競技者として女性として母として生きる~

チャレンジする心を持ち続ける 【第3回(最終回)】

田中理恵さん

田中理恵さん

 ◇「変わらない田中理恵でいたい」

 ―安達先生、最後に何か一言ありますでしょうか。

 安達先生 理恵さんには、これまでの経験を基に女性アスリートたちにアドバイスを送っていただきたいと思いますが、理恵さんを目標にして頑張る選手たちも多くいるはずです。理恵さんは現役を退いてゼロになるのではなく、さらに成長されるものと期待していますし、素晴らしい人生を送っていただきたいです。

 「ありがとうございます。今、私は安達先生に月に1回お会いするのが励みですから(笑)」

 ―上のお子さんは何歳になりましたか。

 「5歳になります。今は幼稚園に行っています。朝6時半に起床し、幼稚園に送り出し、夕方の迎えの時間までに仕事を終え、家に帰ったら母親になります。きょうもこれが終わったら迎えに行きます」

 ―2人目のお子さんが間もなく誕生し、しばらくは子育てに追われる日々かと思いますが、あっという間に月日はたちます。50歳の頃のご自身はどうなっていると思われますか。

 「『元アスリートの田中理恵は永遠に消えない』と思っています。成長もするでしょうが、『変わらない田中理恵でいたい』と思います。スポーツを広げていきたいですし、選手たちが活動しやすい環境づくりをまだまだやっていきたいです。引退後の人生にいろいろと悩む選手もいるでしょうから、そこもサポートしていきたいと思います。子育ても、小、中、高と大変かと思いますが、強い母親でいたいです」

 ―「永遠の田中理恵」という考え方に共鳴します。五輪選手として、女性として、母として、今後もしっかり歩んでいかれることでしょう。田中さん、安達先生、本日は貴重なお時間をありがとうございました。(了)
 
 田中理恵(たなか・りえ) 1987年6月11日、和歌山県生まれ。父親が保健体育教師で、母親も元体操選手という環境で育ち、6歳から体操を始めた。県立和歌山北高等学校から日本体育大学に進学。女子体操選手としては長身の157センチの体格を生かした演技で、2010年の世界体操選手権では日本女子で初めてとなるロンジン・エレガンス賞を受賞。12年の全日本選手権、NHK杯の女子個人総合でそれぞれ初優勝し、ロンドン五輪代表に。兄の和仁、弟の佑典も代表となり、体操史上初めての3きょうだいそろっての同時出場を果たした。13年に現役引退。公益財団法人日本体操協会理事。田中体操クラブゲストコーチとしてスポーツ・体操の普及活動などを行っている。

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