「医」の最前線 患者会は「今」

「再び、誇り高く美しく」 
乳がんと共に生きる-あけぼの会【患者会は今】

 乳がんは日本女性の11人に1人が患うと言われています。早期発見の啓発や治療法・薬剤の向上が進んだおかげで、治療開始後の5年生存率は90%を上回ります。10年生存率でも80%と高く、早期に発見すれば治るがんです。再発しても、ホルモン剤や抗がん剤のほか分子標的薬など患者一人ひとりの症状に合わせた治療により、仕事の継続も可能になりつつあります。それでも、患者は再発の不安、再発後は死の恐怖と闘わなくてはなりません。

ワット隆子前会長の新聞投書

ワット隆子前会長の新聞投書

 ◇きっかけは新聞投書

 あけぼの会は、そうしたさまざまな悩みを持つ乳がん患者の会です。「がん=死」のイメージが強かった1977年に乳がん手術を受け、再発の不安もあったワット隆子前会長(名誉会長)が体験者の会を作ろうと新聞投書で呼び掛けたのをきっかけに78年10月発足しました。現在、22都道府県に拠点があり、会員数は2300人にのぼります。

 あけぼの会は(1)患者さんが速やかな社会復帰ができるように体験者同士が情報交換し、励まし合う(2)体験者の立場から乳がんで命を落とす人が1人でも少なくなるように訴える―ことを目的に、交流会「あけぼのハウス」の開催、電話やe-mailによる相談、講演会、乳がん教育活動などを行っています。

 自立できる支部はそれぞれ代表を置いて独立して運営。本部と各地の会がネットワークでつながり、地域に密着した活動を行っています。キャッチフレーズは「再び、誇り高く美しく」です。

 ◇「乳房がない」とぼうぜん

 私は94年に乳がんの可能性がある部分を全て切除(乳房全摘出と脇などに広がるリンパ節の一定範囲の切除)する手術を受けました。当時は当たり前の手術でしたが、術後に病院のお風呂にあった鏡の前に立ち、初めて乳房が無いことを実感。命が助かるならと納得していたものの、ぼうぜんとし、猛烈な喪失感に襲われました。

 「同じ体験をした人と会って話がしたい」―。そんな動機から入会したのですが、「手術後も以前と同じ自分を取り戻し、胸を張って堂々と生きてほしい」とのメッセージに触れ、癒やされたのを今も鮮明に覚えています。「乳房が無くても誇りを持って生きる」という決意が生まれ、その後25年にわたって活動に携わっています。

 ◇K子さんの願い

 地域活動の要として、ほぼ月1回のペースで各地で開かれているのが「あけぼのハウス」です。乳がん患者が集う場所として2010年2月よりオープンしました。私が住む福岡の場合は、 11年間の闘病生活の末に亡くなったK子さんの切なる願いもありスタートしました。

顧問による公開相談会

顧問による公開相談会

 K子さんは闘病中、「若年でがんになると家族や仕事、介護などいろいろな面で心配です。告知されたらすぐに心のケア、家族へのケアもしてほしい。気軽に話せ、ゆっくり考えて泣ける所があれば、次の治療に向かいやすい」と訴えていました。

 乳がんを告げられると「仕事は継続できるのか」「治療費は?」といった不安が生まれ、「薬の副作用でつらい」「うつになり眠れない」「リンパ浮腫になった」など、治療の段階や患者の置かれている環境により悩みも異なります。

 それだけに、同じような体験をした人、同じ悩みを持つ人に会うと親近感を持ち、連絡し合うケースも多い。あけぼのハウスは、人と人をつなぐ役目も果たしたいと考えています。


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