こちら診察室 介護の「今」
終末期の点滴 第6回
80代の女性は全身状態が悪化し、水も飲めず、何も食べられなくなった。家族は「点滴はしないんですか?」と迫った。
◇末梢静脈点滴
聞き取った本人の意思を尊重し、訪問診療医は末梢(まっしょう)静脈点滴を選択しなかった。
末梢静脈点滴とは、主に腕や手の静脈に針を留置して行う点滴だ。点滴で入れることができるのは、水分や電解質、わずかなアミノ酸などだ。手術前後や軽度の低栄養状態にある患者の水分や栄養の摂取を一時的にカバーする目的で使用される。また、末梢静脈点滴では薬剤も投与される。
家族の納得のいかない表情を見た訪問看護師は、「この状態で点滴をして楽になったという方を私は知りません」と声を掛けた。
病院勤務時代、その看護師は末期がんや高齢の患者のみとりに数多く立ち会ってきた。医療にできるのは、もはや痛みを取り除くことくらいとなった終末期に、末梢静脈点滴を続けることは患者に苦痛を与えるだけだという事実を看護師は知っていた。
終末期の点滴は、患者に「溺れ死ぬ」ような苦痛を与えると言われる
◇溺れ死なないために
死が近づくと、人は尿が出にくくなる。そこへ点滴で強制的に水分を入れると、体外に排出できない余分な水分が体にたまり、体の至る所がむくんでくる。肺がむくむと呼吸が苦しくなり、肺水腫が起こることもある。肺水腫とは肺が水浸しになる状態だ。だから、終末期の点滴は「まるで溺れ死ぬような状態」と形容される。
数日後、80代の女性は点滴をせずに枯れるように亡くなった。苦しむことなく、安らかな往生だったという。看護師は「点滴はしないんですか?」と迫った家族に尋ねた。
「点滴をしたら、もう少し生きられたかもしれません。そうした方がよかったでしょうか?」
家族は首を横に小さく振った。
◇点滴が外せない理由
筆者は取材を重ねる中で、機会あるごとに看護職に終末期の点滴について意見を聞いてみた。ほとんどの看護師は点滴否定派だった。ところが、「そうは言ってもねえ」と言葉を続ける看護師が少なからずいた。
そうは言っても点滴を外せない。その理由は主に二つだ。
一つ目は、事もあろうに、医師が終末期の点滴が患者に与える苦痛を理解せずに、何気なく点滴を処方してしまうからだという。
医療の現場では、医師がヒエラルキーの頂点にいる。医師が決めた治療方針に異を唱えることは難しく、患者の苦痛を肌で感じている看護師の思いは、こと治療方針に関してはなかなか届かない。
二つ目の理由は、家族や親戚の声だ。痩せ細っていく患者の姿に耐え切れず、「水や栄養をあげてください」と願い出ることが少なくない。医療者が点滴のリスクを事前に説明していても、患者の衰弱ぶりにその説明は消し飛んでしまうのだ。他方、家族が点滴外しに同意し、穏やかな死を迎えつつあるにもかかわらず、突然面会に来た親戚の一言で点滴が再開されることもあるという。
◇在宅でのみとり
ある在宅ターミナルの話をしよう。
80代後半の夫を5歳年下の妻が介護していた。夫はアルツハイマー型とレビー小体型を合併する認知症だ。数年前、お気に入りの認知症専門のクリニックと出合い、認知症の症状は治まっていた。
ところが、コロナ禍が夫妻の生活を一変させた。クリニックの診察を含め、外に出る機会が極端に少なくなり、夫が床に就くことが多くなってしまった。やがて食欲が細り、寝たきり状態となる。
妻は介護保険のサービスを利用しながら、在宅でみとることを決めた。
ケアマネジャーと相談し、訪問診療、訪問看護、訪問介護の利用が始まった。息苦しさを緩和するために在宅酸素療法が開始された。一方で、誤嚥(ごえん)性肺炎による発熱が何度も起こり、妻は首筋や脇の下に保冷剤を入れるなど、懸命な介護を続けた。もはや口から食べることはできない。
おそらく、訪問診療医には余命がいくばくもないことが分かったのだろう。「胃の内部に直接栄養や水分を送り込む胃ろうは難しい」と、診療医は妻に告げた。腕には点滴がつながれていた。
◇苦渋の合意
夫の元気は回復せず、衰弱が進む。妻の問い掛けにも答えが返ってこなくなった。
そんなある日、診療医は本人の苦痛を減らすために、点滴の量を減らすことを提案する。
妻には、その提案が何を意味するかが分かっていた。だから、素直にうなずくことはできない。1週間悩み抜き、首を縦に振った。
その1週間後、尿がほとんど出なくなった。診療医は、今度は点滴の中止を提案した。
妻は覚悟を決めていたのだろう。それでも即答はできずに数日間だけ悩み、もう一度首を縦に振った。
筆者は縁あってその在宅ターミナルに寄り添った。医療者が伝え切れていないと思われる終末期の点滴についての情報も繰り返し説明した。聡明(そうめい)な妻であったが、点滴外しへの同意はとてもつらかったと思う。
◇残されたわずかな時間
点滴を外したその日から、妻は残されたわずかな時間を慈しむように不眠不休で介護を続けた。
3日後の深夜。妻にみとられながら、夫は最後の息を大きく吐いた。
知らせを聞いて駆け付けた筆者は、すでに到着していた訪問看護師を手伝って、叙勲の際に仕立てたスーツを着せた。
遅れてやって来た訪問診療医が臨終を告げた。(了)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。
(2023/06/20 05:00)
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