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介護は塗炭の苦しみか? 第2回

 塗炭の「塗」は泥水、「炭」は炭火の意味。塗炭の苦しみとは泥水にまみれ、炭火に焼かれるような苦しみのことだ。同居家族にとっては、まさに「介護は塗炭の苦しみ」であったりもする。

自宅の居室に掛けられた経管栄養ボトル。介護が必要な在宅療養者を巡り、家族の思いは交差する

自宅の居室に掛けられた経管栄養ボトル。介護が必要な在宅療養者を巡り、家族の思いは交差する

 ◇「介護の社会化」のはずが…

 そんな家族の苦しみを少しでも減らそうと2000年4月に介護保険制度が始まった。キャッチフレーズは「介護の社会化」。増える要介護高齢者を、家族ではなく、社会全体で支えようというもくろみだった。ところが、それから二十数年たった今も介護は大きな社会問題となったままである。いや、事態は拡大し、深刻化していると言える。

 老老介護、認認介護、介護離職、介護難民、介護地獄、介護破産、高齢者虐待、介護殺人、8050問題、ヤングケアラー、介護の人材不足、社会保障費の増大、国民の負担増…。挙げれば切りがない。2000年の時点では耳にしなかった言葉も多い。

 「介護の社会化」どころか、「介護の社会問題化」の様相だ。それぞれの問題については、おいおい報告していくが、どれをとっても深刻な社会問題だと言えるだろう。

 ◇介護保険が船出した頃

 筆者は、要介護者や家族への取材を介護保険の施行以前から続けてきた。介護保険は措置制度から契約への介護施策の大転換であり、期待と不安が入り交じっての船出となった。当初は新制度への移行に伴う混乱も見られたり、従来の制度の編み目からこぼれ落ちる人も散見されたりしたが、制度の運用が落ち着くにつれ、「いい時代になりました」という声が要介護者や介護者双方から聞こえてくるようになったと記憶している。

 ◇「たま」がない

 ところが、2006年度に施行された改正介護保険法あたりから雲行きが怪しくなってきた。詳しい説明は別の機会に譲るが、ざっくり言えば、比較的軽度の人のサービス利用に制限が設けられるようになり、被保険者とサービス利用者の費用負担が増加し、家族介護者の介護負担が増える方向に法改正が重ねられたのだ。そして、この傾向は現在に至るまで続いている。

 大きな理由は、急速に進む高齢化による社会保障費の増大が、行政側にとって看過できない状況になってきたからだ。

 当時の厚生労働省の介護保険担当者が嘆息しながらつぶやいていた言葉は、「たまがない」だったと聞く。

 「たま」とは、「弾」か、あるいは「玉」の意味か。いずれにしても、介護保険に回せる予算に限りがあり、介護費の抑制が介護保険の制度改正の至上命令となっていったのだ。改正と共に介護保険制度が複雑化し、改正の意図が見えづらくなってはいるが、底流にはこのあたりの事情が脈々と流れているようだ。結果として家族介護者の介護負担は軽減せず、「介護の社会化」は絵に描いた餅となっている。

 ◇家族介護者の思い

 一向に減らない介護負担。その中で、懸命に踏ん張る家族介護者の姿に何度も出会った。

 柴田良子さん(32歳、登場人物はすべて仮名)は、進行性の神経難病で寝たきりになった母親(68歳)を介護するために仕事を常勤から非常勤に切り替えた。数カ月ごとに入院と在宅療養を繰り返し、1年のうち都合6カ月を在宅介護に充てなければならないからだ。対象家族1人に付き3回まで、通算93日までは休業できるという「介護休業制度」では追い付かず、非常勤勤務に切り替えざるを得なかったという。

 母親の要介護度は一番重い要介護5だが、介護保険制度では24時間の介護が必要な在宅療養をカバーできない。良子さんは制度を徹底的に調べ上げ、介護保険、医療保険、市の全身性障害者介護人派遣事業、学生ボランティアなど、利用できる社会資源をフルに動員して自分自身を含めた24時間の介護体制を組み上げた。

 実は母親が寝たきりになる前、家族はバラバラな状態だったという。父親は家を空けることが多く、きょうだいたちは実家に寄り付かなくなっていた。その理由は、父親の不倫にあることを良子さんは知っている。

 良子さんの願いは、寝たきりの母親を介護するためにバラバラな家族がもう一度、絆を取り戻すこと。母親の願いも同じだと、良子さんは確信する。そして、その願いを実現するために良子さんは母親の介護を懸命に続けている。

 取材に訪れたのは梅雨の季節だった。部屋の片隅には七夕のササが置かれ、「みんな仲良く家で暮らすことができますように」と、良子さんが母親の代筆をした短冊が結ばれていた。

 ◇夫の罪滅ぼし

 地方の小都市で暮らす飯田敏夫さん(78歳)は、妻の久美子さん(76歳)を介護している。3人の子どもたちは都会に出て独立した。2人暮らし。三度の食事作りを含め、一切の家事を敏夫さんが担当している。家族介護者がいる場合、原則としてヘルパーの家事援助サービスは利用できない。要介護歴は4年目に突入した。

 「最初は店屋物や弁当で済ましていたんだけど、妻は糖尿病があるし、金もかかる。何とか自分で調理するように頑張りました」

 部屋の清掃も行き届いており、久美子さんの表情も穏やかだった。懸命な介護を続ける理由を敏夫さんに尋ねてみた。

 「若い頃は随分遊んで妻に迷惑をかけたからね。その罪滅ぼしですよ」

 遊びは「飲む」「打つ」「買う」のすべてだという。「ご主人は罪滅ぼしだとおっしゃっているようですが」と、久美子さんに話を振ってみた。

 「随分、苦労しました」

 認知症が進んでいるにもかかわらず、久美子さんはこの時ばかりは、きっぱりと答えてくれた。

 介護は塗炭の苦しみ。介護保険が始まって間もなく四半世紀がたとうとする今も、状況が改善したとは言えない。その中で、家族はそれぞれの思いを抱きながら介護を続けている。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。



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