こちら診察室 介護の「今」

最後のセーフティーネット 第46回

 ◇過去と向き合う

 男性は、「今の俺にはこの道しかない」と覚悟を決め、生活保護の申請に向けた動きを開始した。

 福祉事務所の相談室。応じたのは男性の面接員だった。この面接を皮切りに、生活保護申請と可否決定に向けての一連の流れがスタートする。

 申請が行われれば、通常、申請受理後14日で可否決定や保護内容が通知される。この間、収入状況、預貯金残高と通帳の記載内容、現金以外の資産状況、扶養義務者、戸籍などが徹底的に調べられる。扶養義務者は、戸籍謄本からも調査される。当然その線上に30年前に置き去りにした家族も浮上する。これが、過去と向き合うということなのか。

 「ご家族には、扶養義務がありますからね」

 面接員のその言葉は、福祉事務所の相談室に重々しく響いた。

 ◇補足性

 生活保護法第4条には「保護の補足性」が挙げられている。思い切り意訳すると、「お金(資産)がある人は、それを使ってください。働ける人は、働いてください。親・子・祖父母・孫(直系血族)や兄弟姉妹に援助してもらえる人は、その世話になりなさい。年金など利用できる法や制度は、すべて利用してください。それでも駄目なら、生活保護が受けられます」となる。

 「30年前から子どもとは連絡を取っていません。私はあの時、親の義務を投げ出しました。今さら、どの面下げて子どもに会うことができますか?」

 「あなたが連絡できないのなら、こちらから連絡を取らせてもらいます」

 面接員の抑揚のない言葉に、男性は「過去の清算」の耐えがたさを思い知らされるのだった。

 ◇「底」を抜けて

 面接、申請、調査…。それは、針のむしろに座りながら、プライドという衣装を最後の一枚まで剥がされるという耐え難き道のりだ。極め付きは「子どもたちは扶養義務を拒否した」と聞かされた時だった。恥ずかしさで悪寒すら覚えた。だが、それが「底」だった。

 申請から2週間ほどして、男性の手元に福祉事務所から封書が届いた。恐る恐る開封すると「保護決定通知書」と書かれた書類が出て来た。「今度こそは駄目かもしれない」と人生を諦めかけた男性は、生活保護という最後のセーフティーネットに救われたのだった。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。



  • 1
  • 2

【関連記事】


こちら診察室 介護の「今」