こちら診察室 アルコール依存症の真実

自殺願望への道 第6回

 「精神科病院」は、かつて「精神病院」と呼ばれていた。2006年12月に施行された、「精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律」により、精神保健福祉法などの精神病院の表記が精神科病院へと改められた。だが、ちまたでは、いまだに「精神病院」と言う人が多い。特に、アルコール依存症の本人たちは、漏れなくと言っていいほどにそうだ。それは自分をおとしめるためなのだろうか。

アルコール依存症で精神科病院の入院を繰り返す

アルコール依存症で精神科病院の入院を繰り返す

 ◇きっかけは、さまざま

 アルコール依存症になったら生きている限り、どこかの時点と何かの理由で精神科病院に入院する人が少なくない。きっかけは、まちまちだ。本稿で取り上げているアルコール依存症になった3人の女性たちの場合も、まさに千差万別である。

 ◇「私だけが、こんな所に」

 夫やその家族との生活に自分の居場所がないと感じたAさんは、憂鬱(ゆううつ)な気分を酒で紛らわせた。本人は家族に知られないように、こっそり飲んでいるつもりだった。もちろん、家族全員がAさんのたちの悪い飲酒癖を知っていた。鏡台の裏にカップ酒を隠していることも、深夜に酒を買いに出ることも、その酒代を子どもの貯金箱から盗む日があることも、すべて知られていた。

 Aさんは精神科病院に入院した。「無理やりに精神病院に入れられた」と話す。自分の飲み方がおかしいという自覚はなかった。だから、夫をうらんだ。「私がこうなったのは、夫と夫の家族のせいなのに、なぜ私だけがこんなところに入られなきゃいけないの」と歯ぎしりした。

 ◇「酒をやめよう」と思ったが

 夫のギャンブル癖が発覚するなど、折れた心を癒やすために「隠れ酒」を始めたBさんは、数年後に離婚した。娘はBさんに付いていくことを選んだ。

 夫からの養育費はなかった。馬車馬のように働き、酒を飲んだ。働くのは娘を進学させるため、飲むのは浮世の苦しみを忘れるためだった。

 そんな生活が何年か続き、体が壊れた。入院したのは内科だった。その頃、Bさんは自分の飲み方には問題があると思うようになっていた。内科の医師から「肝臓が悪いから、お酒をやめたほうがいいですよ」と言われた時に、娘のために酒をやめようと思い、自ら精神科への転院を願い出た。

 ◇「助けてください!」

 飲むために水商売に入り、客相手に飲み続けたCさんは金をためた。しかし、その金を男に吸い取られ、金に困るようになった。たどり着いたのは生活保護。保護費で飲み続けて体を壊し、内科への入院を繰り返した。入院するたびに飲める体になって退院し、酒を飲んでは入院するという悪循環を続けた。そんな暮らし方を続けるうちに、心も体もボロボロになっていく。

 何回目かの入院の時、酒がどうしても飲みたくなって、病院を「脱走」した。家に帰る前に、コンビニで酒を買って飲んだ。それが呼び水となり、連続飲酒が始まった。何日かたった日、水もアルコールも一切体に入らなくなった。何とか流し込んでも吐き出してしまう。「好きな酒を飲んで死ねたら本望だ」と考えることもあった。でも、その酒を体が受け付けない。周囲には助けてくれる知人や友人は一人もいなくなっていた。

 Cさんは心底、恐ろしくなった。公衆電話を探し、生活保護のワーカーに連絡した。「助けてださい!」と声を振り絞った。ワーカーは言った。「精神科病院でもいいですか?」

 ◇底つき体験

 Cさんが精神科病院に入院できるまでに10日かかった。「酒を飲んだら入院できない」とワーカーにクギを刺されていた。Cさんはその10日間を述懐し、「のたうちまわる毎日で、どん底でした」と語る。いわゆる「底つき体験」なのだろう。この体験についての話は、改めてする。とにもかくにも、酒なしでは生きていけなくなった、アルコール依存症の本人自らが「酒をやめる!」と決意するほどの体験であり、そこに行き着くまでには、多くの依存症患者が強烈な体験をしなければならない。

 ◇認めたふり

 Cさんは内科への入院を繰り返した後に精神科病院に入った。一方、Aさんは、最初から精神科病院への入院を繰り返した。2回目の入院の時に医師から言われた。

 「あなたはアルコール依存症です。これからはお酒を飲んではいけません。飲んだら死にますよ。認めますか?」

 Aさんはためらいもなく「認めます」と返事をした。医師の前では従順になる方が楽だからだ。でも、本心は違った。

 精神科病院には10人ほどの女性のアルコール依存症患者がいた。その女性たちとのミーティングがあった。「みんなほど、私はひどくないな」と思った。女性たちの中には、医師と面談を重ねる人や点滴治療を受ける人がいた。Aさんは、どちらにも該当しなかった。おまけに、酒断ちをしているので体は日に日に元気になっていく。

 退院の日、「もう飲んじゃ駄目だよ」と送り出す医師に「はい、飲みません」と即答した。医師をだますつもりはない。本当に飲むのを控えようとも思っていた。しかし、退院すると、「精神科病院帰り」と刺すような視線が耐えきれなくなり、飲んでしまうのだった。そんな自分を嫌悪し、動揺し、気持ちを鎮めるために酒をあおる。気が付けば、駅前の交番の前に倒れていたり、目を覚ましたら病院のベッドの上だったりということもあった。

 ◇自殺未遂

 やがて、Aさんは離婚し、母親と暮らすことになった。しかし、酒浸りの生活は変わらない。夫の下に残してきた子どもにも、迷惑をかけ続けている母親にも「本当に済まない」と思い、涙を流すことが多くなった。

 そんなある日、Aさんは台風で増水した川に足を踏み入れた。冷たかった。流れの速さにも驚いた。ほうほうの体で川から這い上がり、帰りには酒を飲んでいた。

 川で死ねないのなら海で死のうと思った。「これが最後だ」とカップ酒6本と、ゆで卵をつまみに買って、堤防の陰に身を潜めて酒を飲み、暗くなるのを待った。でも死ねなかった。

 酔っ払った足取りで高速道路をAさんは歩いた。車が止まった。その車のドライバーが母親と暮らす家に送ってくれた。(続く)

  佐賀由彦(さが・よしひこ)

 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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