こちら診察室 アルコール依存症の真実

断酒と飲酒の日々 第8回

 この連載で前に紹介したことがあるが、言い得て妙なアルコール依存症の人たちの定義は、なだいなだ氏の「さまざまな理由から、非常に難しいものである断酒をしなければならないところに追い込まれた人たち」〔なだいなだ・吉岡隆アルコール依存症は治らない《治らない》の意味」(2013年、中央法規)だろう。

 追い込まれたアルコール依存症の人たちは断酒に挑む。しかし、断酒のハードルは高く、挑戦の多くは失敗に終わる。断酒していたアルコール依存症の人たちが再飲酒することを「スリップ」と言う。依存症の人たちの歩みの跡には、あまたの断酒とスリップの物語が横たわっている。3人の女性の場合も、漏れなくそうだ。

苦労して断酒しても、酒を見つけると飲んでしまう

 ◇やめては、また飲む

 ついに自ら進んで精神科病院に入ることを決意したAさんは、その境地にたどり着くまでの歩みを振り返る。

 「3カ月やめて、何かあるとまた飲んでいました。その次は6カ月やめることができましたが、飲まずにはいられない事件が起こり、飲んでしまいました。その次は、また3カ月でスリップしてしまいました」

 Aさんは続ける。

 「何度もスリップを繰り返す自分が情けなくなり、1年以上やめたことがありました」

 ◇崩れた断酒の自信

  飲まないことに少し自信が出てきたある日、気分を一新しようと部屋の模様替えをした。

 「洋服たんすの奥から開けていないカップ酒が7本出てきました。隠したことすら忘れていたのです。で、蓋をプシュと開けて一口飲んだら止まらなくなりました」

 最初の夫との生活でも、2番目の夫との暮らしでもスリップを繰り返した。そして、繰り返すたびに酒の飲み方がひどくなった。

 「最後のスリップの時には、すぐ近くにあるトイレまではって10分もかかるありさまでした」

 Aさんは「あんな状態には、絶対に戻りたくない」と何度か目の断酒を続けている。

 ◇娘のために

 夫と別れたBさんは「娘のために酒をやめよう」と断酒を決意した。娘が高校に入学した頃だった。生活費を稼がなければならない。昼間は事務仕事、夜はビル清掃。一生懸命に昼も夜も働いた。

 「娘も弁当店でアルバイトをしていて、一緒に帰って来る日もしばしばでした」。生活は苦しかったが、充実感があった。

 「2年間お酒をやめていたのですが、何の気なしに飲んだら止まらなくなってしまいました。何で飲んだのかなあ…」

 Bさんはひたすら飲み続けた。食事も取らずに何日も飲み続け、自分で歩けなくなり娘に連れられて病院に行った。

 「飲んでいる間に娘がどうしていたのかは、まったく記憶にありません。病院に連れられて行く時、『お母さん、お化けみたい』と娘に言われたことだけは覚えています」

 入院して酒が抜ければ正気に戻る。Bさんは「今度こそ」と断酒を決意する。娘は高校を卒業し、社会人となった。生活も少し楽になった。娘と旅行に行く資金をためようと、夜遅くまで働いた。

 ◇給料袋を盗まれて

 その日は給料日だった。疲れから電車の中で寝込んだ隙に、現金支給の給料袋をそっくり盗まれてしまう。

 「悔しくて、ATMで預金を引き出し、飲んでしまいました。今度の断酒は1年半くらいで終わりました」

 Bさんは「金輪際、お酒は口にしない」と固く決意し、断酒をした。それから2年が過ぎ、娘は付き合っている男性をBさんに引き合わせた。どこか軽い感じの男性で、Bさんは好ましく思わなかった。娘が苦労しそうだとも感じたBさんは「子どもができるようなお付き合いはしないでね」と娘に言った。だが、子どもができて結婚することになった。悔しくて、Bさんは酒をあおった。

 ◇駄目になるのが速くなる

 「駄目になるのが段々と速くなりました。飲み続けてわずか数日で、ふらふらです」

 お酒を買って戻って来たBさんは自宅の前で転んだ。

 「家が目の前にあるのに立てなくなりました。上半身は起き上がれるのに、下半身にまったく力が入りません」

 近所の人に発見されて入院。娘の結婚式が行われたのは、Bさんの入院期間中だった。

 娘は新しい家庭を築き、Bさんは一人暮らしを始めた。それから1年後の再飲酒が今のところ、最後のスリップとなっている。

 ◇半年サイクルで

 男にだまされて蓄えをなくして生活保護を受けるようになった頃、Cさんは半年ごとに断酒とスリップを繰り返していた。

 「スリップをするたびに入院をします。心のどこかでは酒をやめようと思っていたのかもしれないけれど、病気が進むにつれて酒をやめたいという思いよりも、飲まずにはいられない気持ちの方が大きくなっていきました」

 Cさんが言う「病気」とは、もちろんアルコール依存症のことだ。退院後はしばらく断酒するものの、さまざまな思いが募ってくる。それが引き金となってスリップを繰り返す。

 「男と別れたいけど別れられない私。飲んではいけないと思っているけど飲まずにはいられない自分。どうすればいいのか分からずに、はいずり回り、結局は飲んでしまうことの繰り返しでした」

 ◇底なし沼へ

 何回目かの入院の時、ついに幻聴や幻覚が出るようになった。妄想も出現した。頭の中がぐちゃぐちゃになり、体が酒を求めたのか病院を脱走した。その後は、連載の第6回で書いた「底つき体験」を経て、おそらくは本物であるだろう断酒にやっと至った。

 「断酒をしなければならないところに追い込まれた」アルコール依存症の人たち。だが、なだいなだ氏が定義したように断酒は「非常に難しい」。だから、容易にスリップの沼に引き込まれてしまう。それは、底なし沼にも似ているのだろう。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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