こちら診察室 アルコール依存症の真実

血を吐いても飲む 第15回

 母親に自分の車を無理やり買わせて手にした50万円で男性は飲み続けた。連続飲酒発作の症状だ。15歳で飲み始めてから、ほぼ10年がたっていた。

店を出て吐くと、真っ赤な血が

 ◇真っ赤な血

 飲み続けて数日後には吐きながら飲むようになっていた。焼鳥屋で飲んでいた時、胸のあたりがムワッと熱くなった。いつもの吐き気と違う気持ち悪さだ。慌てて勘定を済ませた。

 店を出て吐いたら真っ赤な血だった。酩酊(めいてい)してぼんやりした頭にも、とんでもないことが起きたことが分かった。怖くなった。それでも、また酒が飲みたくなった。

 ◇サウナ経由で実家へ

 「飲んでいれば何とかなるかもしれないとサウナで酒を飲みました。意識が遠くなるような感覚でした」

 このままでは死んでしまうと思い、家に帰った。

 「母親は『あの金で飲んだのか』と怒り狂っています。でも、自分にしてみればそれどころじゃない。血を吐いたのですから」

 トイレに行き、また吐いた。

 「吐いた物は流さずに母親に血を見せました。すると母親は急に慌てだし、近所の病院に連れて行かれました。胃カメラを入れるそばから血を吐いて、悪い伝染病にでもかかったかのように、もうパニックでした。『マロリーワイス症候群だ』と言われ、そのまま入院しました」

 ◇マロリーワイス症候群

 マロリーワイス症候群とは嘔吐(おうと)を繰り返すことで消化管に強い圧力がかかり、食道と胃のつなぎ目の粘膜が破れ、出血する疾患だ。妊娠時のつわり、食あたり、乗り物酔いなどによる嘔吐が原因で生じることもあるが、飲酒に伴う嘔吐が引き金となるケースが最も多い。吐血ではあるが、新鮮血が交じることがあるのが特徴だ。まれに大量に吐血すると命に関わることもある。おおむね予後は良好とされる。

 ◇母親の通告

 アルコール依存症の人が入院すると元気を取り戻すことが常だと、この連載で何度も繰り返してきた。特にこの男性は20代と若く、回復が速い。大いに「飲める体」になって退院した。

 実家の玄関を開けた。そこには仁王立ちの母親がいた。

 「今までとは全然違う態度でした」

 母親はきっぱりと言った。

 「お酒を飲むのなら家を出て行きなさい。今度は、お金は出しません。あなた一人で生きなさい」

 その通告は、結果的に依存症の人を助けてしまう「イネイブラー」からの離脱宣言であり、後に男性は「その言葉が自分を救うことになった」と振り返る。しかし、その時は反発を覚えた。

 「やっと退院した息子に向かって言う言葉かとムカッときたものです。家をとるか、酒をとるか…。もちろん酒を選びました」

 ◇「いつもの自分」に

 住む家がなくなった男性は、「即入寮、日払い可」という仕事を見つけた。酒を飲んでいなければ普通の青年。採用面接は一発でクリアした。25歳になっていた。やり直そうと思った。仕事は組み立て作業だった。

 「2交代制でみっちり働かされました。寮費とかいろいろと引かれるのですが、手元には結構残りました。何と言っても酒を飲みませんでしたから」

 仕事の仲間は酒を飲んでいる男性の姿を知らなかった。

 「今までとは違う自分を演じることができました。ネクラだった僕のイメージとは真逆な振る舞いをしました」

 だが、数カ月後には再び酒を飲み始めていた。禁酒を解くきっかけはどこにでもある。何がきっかけだったのか男性は思い出せない。15歳の時から慣れ親しんだ、「いつもの自分」に戻ったのだ。

 ◇助けを求める

 「仕事の日は、さすがに夜しか飲んでなかったのですが、ついに朝酒を始めてしまいました」

 朝酒だけにとどまらなかった。

 「職場に1合の紙パックの酒を持って行くようになりました。瓶とか缶だと捨てる時に見つかってしまうじゃないですか。昼食の前に1パック飲むことが習慣になりました」

 1パックが2パック、3パックへと増えていった。

 「小さいやつじゃ面倒だからと、5合の紙パックを持ち込みました。でも、こりゃばれるだろうなと思い、具合が悪いからと早退させてもらいました」

 次の日は仕事に行けなかった。そんなことを繰り返した結果、当然のように寮を追い出されてしまう。それでも、飲まない時にためていた金があった。男性は安い宿を取った。

 「3週間くらい飲み続けました。すると、突然酒が飲めなくなったのです。前のように血を吐くわけではないのですが、なぜか一滴も胃に入っていかない。酒を入れたらすぐに吐き出して…」

 足は実家に向かった。やっとの思いでたどり着いた。母親が出てきた。

 「『助けてください』とすがりました。とても不安で怖かったのです」

 母親は何も言わずに、ボロボロになった自分の息子を病院に連れて行った。

 アルコール依存症は自分の意思だけでは、どうにもならない病気だ。自分の無力さを痛感し、誰かに本当に助けを求める気持ちになった時、アルコール依存症から生還できる可能性が生まれると言われる。

 ◇生還へ

 「肝臓は治らないと言われました。心臓は房室ブロックと診断されました。少しでも悪くなるとペースメーカーが必要になるとも言われ、震え上がりました」

 さらに胃と膵臓(すいぞう)にも加え、多くの臓器に問題ありとされた。血液検査の結果も、『そこまでひどいのか』と驚くほど悪かった。そして医師は「アルコール依存症だ」と告げた。

 「その診断を聞いた時に、なぜか酒を本当にやめようという気になりました。それからAAを紹介され、通い続けました」

 AAとは匿名で参加するアルコール依存症の人たちの自助グループだ。その説明はまたの機会に譲るとして、男性は飲まない日を一日、また一日と重ねている。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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