ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

障害を乗り越えていく「BEYOND GIRLS」
~部活のような熱い日々、そして一人立ち~ 【第10回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 2017年にひょんなことで出会い、意気投合した車椅子女子3人で立ち上げた「車椅子ガールズ」。それぞれ年齢も、障害も、生き方も、価値観も違う3人に共通しているのは車椅子に乗っていることだけでした。

「Co-Co Life☆女子部」の大人女子特集で街頭ロケ。服装は、おしゃれ車椅子の先輩の「BEYOND GIRLS」の絵里にコーディネートしてもらった

「Co-Co Life☆女子部」の大人女子特集で街頭ロケ。服装は、おしゃれ車椅子の先輩の「BEYOND GIRLS」の絵里にコーディネートしてもらった

 ◇悩みや不安や怒りを分かち合う

 私は9歳で歩けなくなってからも普通の小中高校で過ごし、アメリカに留学して帰国して社会人として生きていく中で、障害者の友達が一人もいませんでした。社会で感じてきた生きづらさや、車椅子だからこその悩みなどは、誰にも言わずに隠して生きているのが当たり前だったのです。そんな時に出会ったのが、車椅子女子の小澤綾子さんと梅津絵里さんでした。

車椅子だと電車に乗るまで10分くらい待つよね~」
「エレベーター、なかなか乗れなくない?」
「多目的トイレ入ったら、汚くて使えなくて悲しいことあるよね」
「おしっこ漏らして落ち込むことない?」
「尿取りパッド、どんなの使ってる?」

 今まで話題にしたこともなかった車椅子の自分の悩みや不満や怒りを、車椅子女子たちとシェアすることができた時、胸の中にあった怒りや生きづらさが少しだけ解消できてスッキリしました。

 どんな人でも生きやすい社会になるように、何か自分たちで変えることはできないか。一緒に社会を変える活動がしたい。そう思える仲間だったから、「車椅子でカッコイイと思ってもらえるようなグループをやらない?」と筋ジストロフィーを抱える綾子に誘われた時は即座に「イエス」と答えました。この仲間となら、自分がこれまで感じてきたことを発信して、障害者のイメージをもっとポジティブなものに変えていけるかもしれないと。

FOXの同僚たちから東京パラリンピックのパフォーマンスの後に励ましのメッセージが届いた

FOXの同僚たちから東京パラリンピックのパフォーマンスの後に励ましのメッセージが届いた

 活動の当初から私は不思議と不安がなく、この先、発信活動をメインに生きていける確信がありました。もちろん会社員時代に貯金をして、最悪それを切り崩して生きていくことも考えはしましたが。そして、私は「BEYOND GIRLS(ビヨンドガールズ)」として発信活動をメインに生きていくために会社を辞める決意をしました。

 FOXの先輩には、「インフルエンサーになりたいんです」「車椅子でつらいことや感じていることを発信して社会を変えたいんです」「パラリンピックに携わりたいんです」と夢のようなことを突然言ったら笑う人もいましたが、最終的にはみんなが応援したいと言ってくれて、円満退社できました。

 東京パラリンピック閉会式のパフォーマンス後には、当時の同僚や先輩たちから、「有言実行してる!」「本当に夢かなえてるじゃないか!」と、数年ぶりにメッセージが届き、当時の仲間が自分の活動を見守っていてくれたことがとてもうれしかったです。

 会社員時代に、つらくて壁を作ってしまい、怒りをぶつけてしまった先輩や同僚に、今会っておわびをしたいし、あの時向き合ってくれた上司にきちんとお礼が言いたいと、「車椅子インフルエンサー」と名乗るようになって3年目の今、心から思います。

「BEYOND GIRLS」としてさまざまなイベントに出演

「BEYOND GIRLS」としてさまざまなイベントに出演

 ◇「BEYOND GIRLS」始動

 車椅子のユニットで何ができるか、3人で何度も話し合いました。「それぞれの障害でつらかったことや乗り越えてきたことを講演で話したり、車椅子だからできるパフォーマンスをしたりしたいよね」。毎週、会社帰りに集まってグループのミッションや目標を話し合うのがとても楽しかった。そのために、つらい通勤や仕事も頑張れました。

 そして、当初の「車椅子ガールズ」に代わるグループ名をSNSで一般公募し、「BEYOND GIRLS」を選びました。「ビヨンド」という英語には「向こう側」「越える」という意味があります。あらゆる違いを「乗り越え」、障害があることでできないと思っていた「向こう側」に行ってみよう、チャレンジしてみよう、というコンセプトにぴったりの名前でした。

 「違いを楽しもう!」というキャッチコピーで、18年のバレンタインデーに「Yahoo!ニュース」に記事を出してもらうことができ、その日を公式デビュー日としました。

 デビューまでに、自分たちでウェブサイトやYouTubeチャンネルを立ち上げ、知り合いのカメラマンさんにお願いして自分たちの宣材写真を撮り、披露会に向けてダンスや歌や講演の練習が始まりました。

 リーダーの綾子は、もともとシンガー・ソングライターとして歌手活動をしていたので歌を歌い、私と絵里はパフォーマーとしてダンスと歌を少し担当するという設定で、3人でのパフォーマンス活動が開始します。

3人でラジオ番組に出演

3人でラジオ番組に出演

 車椅子で歌って踊って話す

 初めてのイベントでは、岡本真夜さんの「TOMORROW」や、プリンセスプリンセスの「Diamonds」に合わせて車椅子でも踊れるダンスを披露することになり、知り合いのダンサーさんに振り付けてもらいました。毎日毎日みんなで練習をしました。

 私は小中高時代、派手なダンス部のグループなどを陰から見ているようなタイプで、人前で何かをするのが大の苦手でした。人前で発表するのも毎回手が震えるほど。そんな自分が、人前で衣装を着て歌って踊って話すとは…。

 本番の1週間前くらいから動悸(どうき)に襲われて緊張していましたが、いざ始まってみると、恥ずかしさはあるものの、お客さんたちが笑ってくれたり、手拍子で盛り上げてくれたり、話している時にうなずいてくれる姿を見て、逆に元気をもらいました。そして終わった後に拍手をしてもらえたことや、数人から「勇気をもらった」「私ももっと前向きに生きようと思えた」と言ってもらえたことが、すごくうれしかった。

 自分が引きこもりでふさぎ込んでいた時に、映画「タイタニック」にパワーをもらい前向きに生きるきっかけをつかんだように、「BEYOND GIRLS」の活動を通して、誰かにパワーを与えることができるかもしれない。イベントが終わった時にそう感じました。

 その後は、知り合いのイベントに呼んでもらったり、自分たちでワンマンライブをしたりしていくうちに、ちょっとずつ出演オファーが増えました。車椅子のグループというものがそれまでになく、珍しい存在だったからだと思います。障害者の人たちにも認知され、「BEYOND GIRLS」にパワーをもらったとメッセージをもらうことが増えていきました。

 それからは、オファーされたイベントに出演し続け、練習と本番で毎日が部活のように忙しく熱く濃い日々でした。がむしゃらに走り続け、ライブだけでなくラジオやテレビ出演にも挑戦させてもらえるようになり、気付いたら2年がたっていました。

個人で活動するためにトーク力を磨く

個人で活動するためにトーク力を磨く

 ◇個人の活動へ

 19年の夏頃、絵里が体調を崩し、「少し休養したい」と申し出た頃から私の中でも少し変化が起きました。それまでは、がむしゃらにイベントに出てパフォーマンスをしていたんですが、だんだんとプロ意識のような気持ちが芽生えてきたのです。

 私は映画の知識だけは誰にも負けない映画オタクで、映画の編集マンとして会社に勤めながら幸運にも2人と出会い、「BEYOND GIRLS」として発信活動を始めましたが、もともと芸能活動を志向していたわけではありません。そんな自分が人前で披露している歌やダンスやトークのレベルが本当にこれでいいのか、少しずつ疑問に思うようになりました。「もっと人前で披露するのに十分な技量がほしい」。イベントが終わるたびに悔しさの方が大きくなりました。

 絵里が休養するため、一度「BEYOND GIRLS」の活動を休むことになったタイミングで、私自身が感じていたことをメンバーに話しました。「私には歌やダンスのような、アイドルのようなことをする才能がないと悟った。ただ、話すことで人に何かを伝えることの楽しさと大切さを『BEYOND GIRLS』を通して知った。だから一度、一人でしゃべることをメインに練習して成長していきたい」と打ち明けたのです。

 「BEYOND GIRLS」は、これからもずっと仲間であり、時々会っては何かをするけれど、今までのような3人での活動をメインにするのではなく、それぞれが自分の成長を模索しながら発信活動をしていくことにしました。

 19年7月に個人YouTubeを開設し、初めて一人でワンマン講演会をしてみました。そこから、なかなかうまくいかないけれど、自由な生き方を尊重しながら不器用に生きる中嶋涼子の奮闘が始まりました。(了)


中嶋涼子さん

中嶋涼子さん

 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」


【関連記事】


ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~