ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

車椅子の人生だからこそできること
~障害者の思いを発信~ 【第9回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 7年間のアメリカ留学を経て帰国し、27歳で初めて就職して4年目。念願だった映画編集の仕事に就くことができたものの、車椅子で通勤する現実はなかなか厳しいものでした。障害を持ちながら日本の社会で生きることの大変さが身に染みていた頃、再び人生の転機が訪れました。

「Co-Co Life☆女子部」を通して障害のある女性たちとの交流が始まった

 ◇障害者同士の交流が生きがいに

 きっかけは、2016年の大みそかの“事件”。年越しの「ゆく年くる年」を見ながら部屋の大掃除をしていた時です。車椅子のタイヤが電源コードに引っ掛かって車椅子から落ちそうになり、とっさに右手をついたら、もともと脱臼しやすかった右肩が完全脱臼。そのまま救急車で運ばれました。

 病院でレントゲンを撮る頃には年が明けていて、日付が「2017.01.01.」という、一生忘れられないレントゲン写真が手元に残っています。診断結果は全治1カ月。留学中に脱臼して休学した時と同じく、しばらく自分で車椅子をこげなくなったので、1カ月間、会社を休職することになりました。

 休職中に何度か通院する日があり、病院帰りに立ち寄ったコンビニで運命の出来事が起きました。店員さんに突然、「うちの娘はつえを突いているんだけど、モデルをやっていて。あなたも障害者モデルに興味ない? よかったら、この事務所に連絡してみて」と声を掛けられたのです。

 調べてみると、障害当事者に向けておしゃれや生活に関する情報を伝えるフリーペーパー「Co-Co Life☆女子部」を作っているNPO法人「施無畏(せむい)」という団体でした。最初は「うさんくさそう…」と不審に思ったのですが、ググってみたらいろいろと情報が出てきたので連絡してみました。代表の遠藤久憲さんと会い、自分が車椅子になった経緯や、アメリカで映画の勉強をしたこと、日米のバリアフリーの違いを再確認して、日本にもっと心のバリアフリーを広めたいと思うようになったことを話しました。

 遠藤さんに、「NHKで障害当事者のパラリンピックキャスターのオーディションがあるから、ぜひ応募してみるべきだ!」と背中を押されました。英語も使えるし、障害者として日米を経験した自分にも何かを伝えることができるかもしれないと思い、人生で初めてオーディションに応募しました。

 この頃から、自分と同じように障害を持ちながら働いている「Co-Co Life☆女子部」のスタッフや読者モデルの人たちとも交流をするようになりました。会社員をしながら彼女たちと「障害あるある」や悩みを共有できるのが楽しくて、生きがいになっていきました。

オンラインニュース番組「ホウドウキョク」で車椅子ユーザーの思いを話した

 ◇障害者の本音を発信

 ある時、「Co-Co Life☆女子部」のスタッフから、「働く車椅子女子としてテレビに出てみないか」というオファーが来ました。「ホウドウキョク」というフジテレビのオンラインニュース番組です。最初は断ろうと思ったものの、一度きりの人生だし、もうどうなっても後悔しないように生きると決めていたので出てみることにしました。

 収録当日は、MCの阿部知代さんが盛り上げてくれて緊張が和らぎ、いざ本番が始まったら、当時感じていた通勤の大変さや職場内で感じていた障害者と健常者の壁、日米でのバリアフリーの違い、心のバリアフリーを広めたら日本がもっと暮らしやすくなるのでは、という自分の思いを堂々と話していました。

 その時に感じました。「今まで車椅子ユーザーとして20年以上生きてきて感じてきた生きづらさや、生きやすくなるためにみんなに知ってほしいことを話すのって、この人生だからこそできるんだな」と。

 番組を見た人からの反響もあり、働く障害者の方々からの共感やフィードバックがSNSのメッセージなどで送られてきたことで、「同じように感じている人が日本中にはたくさんいるんだ!」「自分だけじゃなかったんだ!」と心強い気持ちになりました。それと同時に、「もっと伝えたい!」「もっと同じ悩みをいろんな人と共有したい!」という、それまで考えもしなかった新しい思いが生まれました。

 その頃、NHKの障害者キャスターオーディションの1次審査と2次審査に合格し、最終審査に行くことが決定しました。

イベントなどで障害者の思いを伝える機会も増えた

 ◇人前で話すのが好きになった

 17年は脱臼という最悪な状態でスタートを切ったものの、「Co-Co Life☆女子部」と出合い、私の人生は新しい希望のある方向へどんどん進んでいきました。そして、自分の中にある新しい可能性を見つけました。

 それまでは大嫌いだった「人前で話すこと」に興味を持ったのです。私は幼少期から人前で話すことが大の苦手。仲の良い友達の中では盛り上げ役になるものの、夏休みの自由研究の発表などで5人以上の前で話す時は緊張してしまって、あいさつもきちんとできないような子でした。

 アメリカに留学してから急に明るくなり、前向きになったものの、根本的な性格は変わっていません。社会人になっても会議での発言やプレゼンをする時は、動悸(どうき)が止まらず吐き気に襲われるほど。編集室にこもって一人で編集しているのが一番性に合っていました。

 そんな自分が、テレビやオーディションで初めて人前で、車椅子で生きてきた人生について話した時に少し快感を覚えました。「人に伝えることって楽しいな。しかもそこでポジティブなフィードバックがあるのがうれしいな」って。

 NHKのオーディションは最終審査で落ちてしまいましたが、最終まで残ったことやフジテレビの番組に出演した経験で少しだけ自信が付き、人前で話すことが前より好きになりました。

綾子(左)とは東京パラリンピックの閉会式にも一緒に参加

 ◇車椅子女子の仲間

 17年の中頃、「Co-Co Life☆女子部」で「30歳以上の障害がある大人女子」を特集するので表紙を飾ってほしいとのオファーを受けました。表紙は3人で撮影するということで紹介されたのが、小澤綾子さんと梅津絵里さんです。終了すると女子会が開かれ、たまたま3人で同じテーブルになりました。この2人との出会いが、私が車椅子インフルエンサーになるきっかけになったグループ「車椅子チャレンジユニットBEYOND GIRLS(ビヨンドガールズ)」の活動につながります。

 綾子は筋ジストロフィーという進行性の難病を抱え、当時はつえを突いて歩いていました。初めて会った時、「私はもうすぐ車椅子生活になって、将来は寝たきりになる。車椅子生活になったら人生終わると思ってたけど、涼子ちゃんを見たら楽しそうで前向きになれた」と言ってもらえたことがすごくうれしかったです。

車椅子でのパフォーマンスは一生の思い出

 彼女は日本IBMで働くキャリアウーマンでありながら、休日は講演やコンサートをするシンガーソングライターとしても活躍していました。「進行性の病気で自分より大変なはずの人が、こんなになんでもできて、生き生きしていてカッコイイ。私は下半身がまひしているだけで、毎日『つらい』と嘆きながら会社に通っていて、何をしているんだろう。もっと私にもできることがあるんじゃないか」。綾子と出会ってから、そう思うようになりました。

 絵里も、過去に6年間寝たきりで入院していたことがあり、「車椅子生活になった今が幸せ」と言っていました。「寝たきりでご飯も食べられなかったけど、今では車椅子に乗ってどこへでも行けて、好きな物が食べられる」と言う絵里は、とてもおしゃれで、いつも楽しそうでした。

 車椅子生活になった自分を悔やんでばかりだった私は、絵里が「車椅子になってよかった」と言うのを聞いて、「考え方一つで人生の楽しみ方ってこんなに変わるんだな」と思うようになりました。そして車椅子でもおしゃれを楽しむ彼女に影響されて、それ以来、ブーツを履き、ワンピースを着るようになりました。

人生を楽しんでいる様子が輝いて見えた綾子(中央)と絵里(左)と「BEYOND GIRLS」を結成

 ◇誰もが暮らしやすい社会のために発信

 ちょうどその頃、綾子から、「車椅子でカッコイイと思ってもらえるようなグループを一緒に作らない?」と誘われました。私は「イエス」と即答。絵里を誘い、3人で「車椅子ガールズ」と名乗って活動を始めました。

 FOXに勤務しながら、副業で「車椅子ガールズ」としてトークや歌やダンスを披露するイベントに出演したり、個人でも「Co-Co Life☆女子部」やSNSを通してオファーされたイベントで、車椅子女子として日常の問題点や思いを話したりする機会が増えていきました。

 次第に、会社で映画の仕事をするよりも、日本のバリアフリー事情について思いを発する活動に生きがいを感じるようになりました。「今は夢だった映画の仕事をするよりも、日本がもっともっと誰もが暮らしやすい社会になるための活動をするべき時なんじゃないのかな。アメリカで経験した心のバリアフリーや、車椅子女子として生きてきた人生について話すことで、もしかしたら人の心に何かを伝えられるかもしれない。普通じゃない人生を生きてきた自分にしかできないことかもしれない」。そう思うようになったのです。

 17年12月にFOXを退社し、私は「車椅子ガールズ」としての活動をメーンに生きていくことに決めました。18年2月14日に、一般公募して選んだ「BEYOND GIRLS」に名を改め、3人で本格的に活動を始めました。(了)


中嶋涼子さん

 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」

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