米大統領選が半年後に迫る中、激戦州の一つ西部アリゾナ州で人工妊娠中絶が争点に浮上した。州最高裁が4月、160年前の中絶禁止法の効力を認めたことがきっかけ。女性の権利保護を掲げる民主党陣営は「責任はトランプ前大統領にある」(バイデン大統領)と攻勢を強めている。
 ◇改憲へ動き
 問題となったのは、女性に参政権すらなかった1864年制定の禁止令。母親の命に関わるケースを除き、レイプや近親相姦による妊娠も中絶できない。民主党は、中絶を「基本的権利」とうたう州憲法改正案の発議に向け、複数の団体と署名活動を展開する。
 「若い頃に勝ち取った権利がまた奪われた」。ボランティアのクリス・ラディスさん(64)は4月21日、記入用紙を抱えて署名集めに向かった。砂漠地帯の州都フェニックスの最高気温は37度。暑さはこれからが本番だ。
 州への提出期限は7月3日で、投票は大統領選と同じ11月5日が見込まれる。必要な約38万人を上回る署名を既に集めたが、「不明瞭」「枠をはみ出している」といった反対派の無効申し立てに備え、2倍の80万人を目指す。
 署名に訪れた主婦ケリー・クロフォードさん(33)は、2歳の娘が選択の権利を奪われたと憤る。「判決を可能にしたトランプの復権を、絶対に止める」
 ◇「中絶は殺人」
 一方、同市で中絶を扱うクリニックの前では、中絶反対派がメガホンを握っていた。「胎児と母親は別の人間。中絶は殺人だ」。反対派団体は、改憲案への署名を阻止する運動で対抗する。
 同クリニックの小山敦子医師(49)は、妊娠の瞬間から中絶を否定する禁止法について、母体を危険にさらすと指摘。仮に胎児が子宮内で死んでも、医師は訴追を恐れて分娩(ぶんべん)措置を施さず、感染症リスクが高まるなどの懸念がある。規制が導入された別の州では、処置を断られ臓器に障害を負った例もある。
 小山医師のクリニックは州内で行われる中絶の約3割を手掛け、他州の妊婦の受け皿にもなってきた。中絶規制で「医師は仕事を制限され、予定外の妊娠を続ける女性が増える」と危惧する。
 ◇バイデン氏に追い風
 アリゾナ州は近年、IT企業などの進出で急成長を遂げた。雇用や暮らしやすさを求めて他州から移住が進み、ここ20年ほどで人口は1.4倍の743万人に増加。共和党支持の強い州として知られたが、リベラルな住民も増え、2020年大統領選ではバイデン氏が約1万票の僅差でトランプ氏を破った。
 共和党系ストラテジストのバレット・マーソン氏は「政府の介入を嫌うアリゾナ人の気質に、中絶の権利剥奪が火を付けた」と解説。トランプ氏が強みを持つ経済や移民から中絶へと有権者の関心が移り、今は「バイデン氏が有利」とみる。
 分析機関「データ・フォー・プログレス」の世論調査によると、州最高裁判決に「賛成」が30%だったのに対し「反対」は66%に上った。形勢悪化を感じたトランプ氏は禁止法を「行き過ぎだ」と批判。共和党が多数派の州議会も、争点化回避のため禁止法の撤廃法案を可決した。
 だが、中絶擁護派は「法律は上書きされかねない」と、あくまで州憲法への明記を目指す。「この問題に中間点はない。11月に私たちの怒りを見せてあげる」。ラディスさんは宣言した。(フェニックス=米アリゾナ州=時事)。 (C)時事通信社