特集

コロナ感染ゼロの町
~閉鎖空間の安全と危険~ 「横浜・寿町 方丈未満の記」 時事通信社横浜総局記者 田幡秀之

 新型コロナウイルスの感染拡大で東京五輪・パラリンピックの1年延期が決まった2020年3月24日の午後、横浜市中区にある寿町を訪れた。JR石川町駅で降りる。根岸線を挟んで海側の元町や中華街を歩くことはあっても、反対側に足を踏み入れるのは初めてだ。東京・山谷、大阪・釜ケ崎(あいりん地区)と並ぶ三大ドヤ街の一つだ。

 ドヤは「宿(ヤド)」の逆さ言葉で、簡易宿泊所(簡宿)の通称だ。高度経済成長期には、工事現場を渡り歩く日雇い労働者の短期の居住地として重宝された。現在の寿地区で目立つのは、車椅子や歩行器を使った高齢者だ。晴れた日だった。地区には一つも信号が無い。歩行者天国のような路上の隅で顔を突き合わせて将棋を指し、炊き出しが行われる寿児童公園前ではたばこを吸いながら大声で談笑する姿が目に留まる。

 マスクを着けている人は数えるほどしかいない。昼間から営業しているスナックからは大音量のカラオケと、けんかをしているような声が聞こえる。一度、新型コロナウイルスの感染者が出れば、まん延は避けられないだろう。だが、関係者らによると寿地区では9月15日現在、新型コロナに感染した住人は一人も確認されていないのだ。

「ことぶき共同診療所」の鈴木院長

 ◇危険な美談

 「私が医師として寿町に来た2003年ごろ、寿町では冬場になってもインフルエンザが全くはやらなかったんです。寿町のある中区でまん延していてもです。なぜなのだろう、とずっと疑問に思っていました」

 中区は横浜市役所や神奈川県庁など官公庁が並ぶほか、中華街など観光スポットもある市の中心だ。寿地区で新型コロナの陽性者が確認されていない理由について、寿町に四つある診療所の一つ「ことぶき共同診療所」の鈴木伸院長(51)に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 鈴木院長は東大文学部在学中だった1989年に、友人に誘われて寿地区の年末年始の支援活動「越冬」に初めて参加し、その後もボランティアとして関わった。診療所をつくった初代院長の故田中俊夫さんに出会い影響を受け、東大卒業後に信州大学医学部に入り直し医師となった。2003年に寿地区に戻り、12年からは院長として寿の医療を支え続けている。

 「陸の孤島というのはあると思います。各自が個室で生活し、学校や仕事に行っている人がほとんどいない。新型コロナウイルスの感染が起こるようなところから隔絶されているから、他ではやっていても、幸い、寿には持ち込まれていないんだと思います」

 寿地区は「労働者の街」から「福祉の街」へ変化する過程で、ヘルパー、訪問看護、デイサービスが充実し、住民へのサポートが増えた。その結果、他地区と比べ短命だった平均寿命の差が10歳程度にまで縮まった。するとそれに伴い、寿地区は冬になると「普通に」インフルエンザがはやる町となった。

 鈴木院長は昨年まで、この話を「美談」として紹介していた。「寿町でインフルエンザがはやるようになったのは、福祉サービスが充実し、人々の交流が活発になったおかげです」

 しかし2020年、新型コロナウイルスが世界で流行するようになり、状況は一変した。鈴木院長は「美談」ではなく「非常に危険な状況」であると、認識を改めざるを得なくなった。

かつては「水上ホテル」が並んだ中村川

 ◇水上ホテル

 寿地区には苦い経験がある。JR石川町駅南口の改札を抜けると、空をふさぐ首都高速神奈川3号狩場線の下に、横浜港に注ぐ中村川が流れる。1950年当時は、貨物の運送に用いるだるま船が浮かび、押し寄せた港湾労働者たちを収容していた。いわゆる「水上ホテル」が並び、「ホテル街」が形成されていた。

 公益財団法人「寿町勤労者福祉協会」(19年4月「横浜市寿町健康福祉交流協会」に改称)の設立40周年記念誌によると、水上ホテルは布団もなく、履物を履いたまま、粗むしろの上に隙間なく寝かされるという劣悪な施設だった。定員は100人以下で、寝所は3層。料金は10円と格安だった。

 水上ホテルには問題点が多かった。水道設備はなかった。炊事・洗濯はもちろん、風呂の設備もなく、し尿は垂れ流しだった。そこに多くの労働者が寝泊まりしたため、病気がまん延した。とりわけ50年2~3月にかけて、水上ホテルで発疹チフスが大量発生した。東京都の患者が横浜市西区の簡宿に投宿し感染源となり、11施設へ飛び火した。332人が感染し、13人が死亡した。

 1人が罹患(りかん)し、大勢の同宿者にたちまちまん延した。水上ホテルは51年、40人が死傷する転覆事故を起こしたこともあり、撤去が決まった。水上ホテルの受け皿となったのが現在の寿の簡宿街だという。

 もちろん、70年前のような劣悪な環境は現在の寿地区にはない。だが、ひとたび感染力の強い新型コロナが持ち込まれれば、水上ホテルの二の舞になりかねない。

 現在の簡宿は、居住スペース自体は3~4畳半の個室になっているものの、トイレ、炊事場、コインシャワー、ランドリーなどは共有スペースになっており、診療所の鈴木院長は「感染の温床になる恐れがある」と指摘する。マスクをせずに簡宿内を歩き回る住人も少なくない。

 鈴木院長は、共同診療所と同じビルに拠を構えるNPO法人「ことぶき介護」管理者の梅田達也さん(50)らと簡宿の管理人である帳場担当者を対象とするアンケートを発案。このほど、市民活動などの中間支援事業を行う「ことぶき協働スペース」が中心となって調査したところ、「日常の業務で不安を感じている」が54.0%と半数を超えたのに対し、3割超が特段の危機感を持っていないことが分かった。

 不安要因として最も回答が多かったのは「住人一人ひとりの感染防止の意識」で、6割近くを占めており、住人の意識啓発を期待する声が上がっていた。

寿町の中心

 ◇生命線

 寿地区は東西約300㍍、南北約200㍍の土地に120軒あまりの簡宿が立ち並ぶ。約5700人の寿住人のうち65歳以上は3300人余。高齢者率は57%と高い。加えて脳卒中後遺症、糖尿病、高血圧、肺疾患など疾患や障害を抱えている人が多いのが特徴だ。ちなみに、9割が生活保護を受給している。

 「つまり、新型コロナウイルスに感染すると重症化しやすい方が多く住んでいる町ということです」と鈴木院長の危機感は強い。

 こうした住民を支えているのが介護事業者だ。介護事業者を対象に行ったアンケートの結果によると、寿地区では1000人超がヘルパーのサポートを受けながら生活している。6人に1人強の割合だ。

 地区内にヘルパー事業所、デイサービス事業所、ケアマネジャー事業所など介護事業所は26軒あり、他地域からも参入してサービスを展開している。いずれも小規模の事業所が多く、スタッフ数が10人以下の事業所が6割を占める。スタッフの年齢層も高い。50歳以上が6割を超え、70歳代以上も13.5%を占める。住民もそれを支えるスタッフも、高齢化が進んでいる。鈴木院長が続ける。

 「介護は、障害がある人が在宅生活を行う上で生命線です。食事、洗濯、掃除、会話……。もし介護がなかったら、途端に在宅生活が困難になってしまう人が大勢いる。傍らで見ていると、寿のヘルパーは非常に熱心で献身的な方が多い。非常に大変な状況にある人に本当に辛抱強く寄り添い、生活を立て直し、さらにはメンタルを支えています」

 寿地区の住人自身は外部との接触が少ない中で、最も懸念されるのはウイルスが外部から持ち込まれることだ。寿地区に限らず、医療機関や介護施設はハイリスクな場所であり、介護の現場は非常に感染リスクが高いと言える。テレワークなどもできない。密閉、密集、密接の「3密」を防ぐのは難しい環境だ。

 寿地区の介護事業者を対象にした前述のアンケートによると、継続的なサービスの提供が保たれている中で、特に訪問介護では「スタッフの疲労やストレスが増している」との回答が半数を超えた。

「ことぶき共同診療所」と「ことぶき介護」が同居

 ◇介護崩壊リスク

 「朝なので空気の入れ替えをします。たんがいっぱい出たんですかね」

 8月上旬の朝、ことぶき介護の介護士、齊藤摂さん(45)に同行した。事務所で行われた申し送りの後、齊藤さんが向かったのは、最も重い「要介護5」の倉田夏男さん(62=仮名)の部屋だ。脳梗塞を患い、13年間寝たきりだという。精神疾患もあり、幻聴・幻覚に襲われる。

 窓を開けると、高速を見上げる形になる。日当たりは悪くはない。部屋の広さは4畳半。ベッドを置いても、齊藤さんが自由に歩き回れる広さを確保している。

 齊藤さんはマスクとビニール手袋姿で、ベッドに寝たきりの倉田さんの熱を測り、おむつを替え、体を拭き、食事を食べさせ、薬を飲ませ、歯磨きを済ませた。空調は効いているが、最高気温が32.8度まで上がった真夏日。マスクを着けたままの肉体労働は苦労がしのばれる。実際、倉田さんからは、別の介護士がマスクを外して介護していたことに対する不満の声が上がった。

 齊藤「マスクのこと聞きました。顎の下にずらすヘルパーがいるんですか」
 倉田「います」
 齊藤「嫌な思いをさせてすみませんでした。その場でヘルパーさんに『ちゃんとマスクを着けてください』と倉田さんの優しいしゃべり方で伝えてください。倉田さんもマスクしますか」
 倉田「外れちゃうんですよ。パニックになって」

 この間、約1時間。小さな部屋で密接なサービスが行われていた。倉田さんには、1日に2回弁当が届けられ、3回ヘルパーが入る。週に3回訪問看護も受けている。齊藤さんは言う。

 「いつコロナにかかってもおかしくないという前提で休養、栄養を十分取って、手指洗いに気を付けるしかありません」

 鈴木院長によると、市中感染が始まっており、ヘルパー利用者の中から感染者が出てもおかしくない状況だ。

 利用者に感染者が出た場合、感染を避けるために介護事業所がサービスを停止してしまうリスクもある。半身まひでヘルパーなしには生活困難な患者が発熱し、新型コロナの疑いを否定できず、一時的に介護が入れなくなったケースがあった。幸いこのケースでは、利用者が自力で排せつでき、食事も取れた。抗生剤ですぐに熱が下がり体調が回復し、事なきを得た。

 一方で、介護事業所で感染がまん延し、事業所を一時的に閉鎖しなければならない状況もあり得る。
 鈴木院長は「現状、寿町でまだ感染が起こっていないということは、ヘルパーの方々の努力のたまものだと思っています」としながらも、「見ていると、時々不安になるケースもありました」と顔を曇らせる。

 以前は、人員不足から体調不良を押して働こうとするヘルパーを目にした。ヘルパーの賃金が相対的に低く抑えられているのも原因の一つと感じている。また、感染防護のための資材、知識も不足していた。鈴木院長が強調する。

 「現在は、研修などで改善していますが、いずれにしても介護が一時的に止まってしまう介護崩壊のリスクについても考えておかなければなりません」

ビニールでガウンを製作

 ◇自治と連帯

 感染者がいつ出てもおかしくない状況で、診療所の鈴木院長、ことぶき介護の梅田さんらが発起人となり、「寿地区医療介護等関係者 感染症対策交流会議」が4月に発足した。寿町を新型コロナから守るための対策会議だ。2週に1回、ビデオ会議システム「ズーム」を活用して対策を講じている。

 行政、ヘルパー、訪問看護、医療などの多職種の関係者がオンラインで新型コロナ対策に関する情報を共有する。各簡宿、フロアでの発熱、風邪症状者の流行の状況を、ヘルパーや簡宿の管理人である帳場からの情報を基にプライバシーに配慮しながら集約するプラットフォームをつくった。早期に介入できるようにするためだ。会議には既に49人が参加。鈴木院長は「いざというときにはウェブ会議を招集できる体制は整った」と話す。

 関係者が連携を深めることで、新たな仕組みも産声を上げている。医療・介護現場で逼迫(ひっぱく)しているガウン作りだ。鈴木院長は診療に必要なガウンをビニールシートやごみ袋を使って自作していた。鈴木院長は「寿DIYの会」の会長でもある。ガウン作りを町内にある就労継続支援B型事業所「ぷれいす」に委託した。就労継続支援B型とは、一般企業などに就職が難しい各種障害や難病を抱えている人に働き場所を提供する制度だ。雇用契約はなく、工賃が支払われる。

 ぷれいすに限らず、こうした作業所はどこもコロナ禍で受注が細っていた。近隣の複数の作業所に声を掛けた。「作業所の仕事不足を解消でき、医療・介護事業者の防護品も供給できる一石二鳥のプロジェクト」(鈴木院長)がスタートした。お互いの不足を補える循環だ。寿地区には自治と連帯の歴史がある。

 福祉の街を支える共助は、外部の力も呼び込んだ。歌手のさだまさしさんが設立し、鈴木院長の旧知の医師・作家、鎌田實諏訪中央病院名誉院長が評議員を務める公益財団法人「風に立つライオン基金」の関係者にプロジェクトの話をすると、大規模な支援に結び付いた。ガウンはこれまで町内向けに2000着を配り、まだ在庫が1000着ある。ライオン基金は他に4000着を買い上げてくれた。8月14日には、町の中心である寿町健康福祉交流センターで、ライオン基金が連携する認定NPO法人「ジャパンハート」の医師を招き、ガウンの着脱方法など現場での感染管理対策の相談会が行われた。

 ガウン製作を受注した、ぷれいす代表の岩崎八千代さん(63)は言う。

 「本当に仕事がなくなるかもしれない、というときに社会貢献もできています。これまではシールを決まった場所に貼るなどの単純作業が多かったのですが、ガウンは一から、型紙を作るところから始めて、それに合わせて切っていく作業です。使い勝手を良くしたり、試行錯誤しながら作っています。利用者がやりがいを持てる、今までとは違う作業です」

 鈴木院長はこう呼び掛けている。

 「パニックに陥ることなく、冷静に現実を見つめ、物理的には距離をとりつつ、心情的には距離を縮め、励まし合い連携を深め、情報を共有することが必要です。そして最悪の事態を想定して準備し、いざ事態が起こったときには関係者で知恵を出し合い、利用可能なリソースを最大限活用し、被害が最小限になるように行動していきたい」
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 鴨長明が「方丈記」を著したのは鎌倉時代の1212年。方丈(一丈四方=4畳半)のいおりに住み、当時の世相を書き記した記録であることから、自ら「方丈記」と名付けた。それから808年後。横浜・寿町では、一部屋3畳から4畳半と方丈にも満たない簡易宿泊所で約5700人が生活している。住人はかつての若い日雇い労働者から、高齢者や身体・精神障害を持つ生活保護受給者に変化した。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。横浜市関係者は「町自体が巨大な特別養護老人ホームに変わった」と指摘する。(時事通信社「厚生福祉」2020年9月18日号より)

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