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がん細胞で細胞増殖のアクセル因子が過剰発現する新たな仕組みを発見
~ 新規がん治療法開発への貢献に期待~ 科学誌「FEBS Letters(フェブス レター)」に2022年2月28日(米国東部時間)に掲載

 【研究成果の概要】

 名古屋市立大学大学院薬学研究科細胞情報学分野の大学院生博士課程2年の長坂真衣、井上靖道准教授、林秀敏教授らの研究グループは、がん原遺伝子産物c-Mycを安定化し、蓄積させる分子として、脱ユビキチン化酵素USP17を新たに同定しました。

 c-Mycは生体内におけるさまざまな遺伝子、特に細胞の増殖や分化、代謝などをつかさどる遺伝子の発現を制御する転写因子として働き、多岐にわたる生理学的プロセスに関与しています。このタンパクは細胞増殖のアクセルとして働くことから、正常細胞では必要以上に発現しないよう厳密にその発現量が制御されています。しかし、がん細胞の多くではその制御が破綻し、c-Mycが過剰に発現することで異常な細胞増殖を引き起こすことが知られています。実際に、多くの臨床がんにおいてc-Mycの高発現が見られ、予後不良とも正に相関することが報告されています。このようなことからc-Mycはがんにおける有望な治療標的分子として期待されているものの、c-Myc自体を標的とした創薬は難航を極めているのが現状です。

 本研究では、USP17という酵素がc-Mycの高発現に強く寄与していることを世界で初めて明らかにし、USP17ががん創薬における新たな治療標的となる可能性が見いだされました。

 なお、本研究は科学誌「FEBS Letters」に2022年2月28日(米国東部時間)に公開されました。

 【背景】

 c-Mycは悪性度の高いバーキットリンパ腫の原因となるがん原遺伝子産物として同定され、正常な細胞でもその増殖や分化、代謝など多岐にわたる生理学的プロセスに関与することが明らかになっています。重要なことに、多くのがんでは、c-Mycの高発現と予後不良との相関が報告されており、c-Mycはこれらのがんにおける有望な治療標的分子として期待されています。しかしながら、c-Mycは治療標的となりうる特徴的な構造(ドメイン構造)をもたず、c-Myc自体を標的とした創薬は難航していることから、c-Mycの発現制御に寄与する分子を新たな創薬標的とした治療法が注目されています。がん細胞の多くで見られるc-Mycの過剰発現は、その量的な制御機構の破綻が原因の一つとして指摘されています。中でも、「ユビキチン・プロテアソーム系」1と呼ばれる細胞内タンパク質の分解を介したタンパク量の精密な制御機構が異常になることが要因の一つであると考えられています。分解される運命のタンパク質には「ユビキチン」と呼ばれる小さな標識タンパク質が数珠状に結合し、このユビキチンの鎖を標識として、「プロテアソーム」と呼ばれる分解酵素複合体に運ばれ、タンパク質の分解が行われます。本研究で着目している「脱ユビキチン化酵素」2は、分解されるはずのタンパク質からこのユビキチン鎖を逆に除去し標識を外すことで、タンパク質をプロテアソームによる分解から保護する役割を担っています。近年の報告では、細胞内において脱ユビキチン化酵素が高発現することで、本来分解されるべきタンパク質が異常に蓄積することがさまざまな疾患の原因となる可能性が示唆されています。

 今回、共同研究グループはがんにおけるc-Mycの発現上昇の要因を探る上で、ユビキチン・プロテアソーム系に着目し、c-Mycの蓄積に寄与する新たな脱ユビキチン化酵素の同定を試みました。

 【研究の成果】

 研究グループは、数十種類以上からなる脱ユビキチン化酵素ライブラリーを用いて、c-Mycの蓄積に寄与する脱ユビキチン化酵素の探索を行いました。その結果、c-Mycを顕著に蓄積させる分子として、脱ユビキチン化酵素「USP17」を新たに同定しました。解析を進めると、USP17はc-Mycと直接結合し、c-Mycに付加されたユビキチン鎖を除去することでc-Mycを蓄積させていることが明らかとなりました。

 c-Mycは細胞の増殖を促進するだけでなく、がん細胞の生存に必要なエネルギーを生産する解糖系代謝3の亢進に働くことも知られています。これらの生理学的作用へのUSP17の寄与を調べるため、c-Mycが高発現することで知られるPC-3細胞(ヒト前立腺がん細胞株)のUSP17をノックダウン4したところ、c-Mycの発現が顕著に低下するとともに、細胞の増殖が抑制されました。さらにUSP17をノックダウンしたことで、PC-3細胞におけるグルコース消費量や乳酸産生量も減少し、解糖系が抑制されることも明らかとなりました。いずれの現象もc-Mycを人為的に過剰発現させることで、回復することもわかりました。

 以上の結果から、USP17はがん細胞においてc-Mycを蓄積させることで、細胞増殖や解糖系の亢進に寄与することが示唆されました(図1)。

 【研究のポイント】

 ・がん原遺伝子産物の一つであるc-Mycを細胞内で蓄積させる分子としてUSP17を同定した。
 ・USP17の発現を人為的に低下させる(ノックダウンする)ことで、がん細胞の細胞増殖や解糖系が抑制された。
 ・USP17はがん創薬における新規治療標的として期待することができる。

 【研究の意義と今後の展開や社会的意義など】

 多くのがんにおいてc-Mycの高発現と予後不良との相関が報告されていることから、c-Mycはがんにおける有望な治療標的分子として期待されています。しかしながら、c-Mycは治療標的となりうる適切な構造をもたず、c-Myc自体を標的とする創薬アプローチは困難な状況です。今回、本研究にてc-Mycを安定化し、蓄積させる分子としてUSP17を同定したことで、間接的にc-Mycの発現を低下させるようなUSP17阻害剤など、がん創薬における新たな治療標的となる可能性を見いだし、今後の新規がん治療法の開発に貢献することが期待されます。

 【用語解説】

 1)ユビキチン・プロテアソーム系:オートファジー、リソソーム系と並ぶ細胞内の主要なタンパク質分解機構。ユビキチン化されたタンパク質を、タンパク質分解複合体であるプロテアソームが選択的に分解することで、細胞増殖やシグナル伝達、タンパク質の品質管理などさまざまな細胞機能を制御する。
 2)脱ユビキチン化酵素:タンパク質からユビキチン鎖を除去する酵素。標的タンパク質をプロテアソームによる分解から保護するだけでなく、ユビキチン化修飾によるシグナル伝達の抑制などを介して、さまざまな細胞応答を制御する。
 3)解糖系代謝:生体内に存在する生化学反応経路。グルコースをピルビン酸や乳酸などに分解し、細胞のエネルギー源となるATPを産生する多段階の反応。がん細胞では、通常酸素の少ない環境で働く解糖系代謝が酸素の多い状況でも恒常的に活性化する「ワールブルグ効果」を示すことが知られており、グルコースの取り込みが盛んに行われ、乳酸産生の増加が見られる。
 4)ノックダウン:遺伝子の発現を人為的に抑制する技術。

 【研究助成】

 本研究は JSPS 科研費(18K06660, 20K07052, 21H0265, 18K16081)、名古屋市立大学特別研究奨励費(2021103, 2022005)、次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2130)の各助成を受けたものです。

 【論文タイトル】

 The deubiquitinating enzyme USP17 regulates c-Myc levels and controls cell proliferation and glycolysis
(脱ユビキチン化酵素USP17はc-Mycの発現量を制御し、細胞の増殖と解糖系を調節する)

 【著者】

 Mai Nagasaka1, Yasumichi Inoue1*, Manaka Yoshida1, Chiharu Miyajima1, Daisuke Morishita2, Muneshige Tokugawa1, Haruna Nakamoto1, Mayumi Sugano1, Nobumichi Ohoka3, Hidetoshi Hayashi1*
 長坂真衣1, 井上靖道1*, 吉田真南香1, 宮嶋ちはる1, 森下大輔1, 2, 徳川宗成1, 中本遥菜1, 菅野真由美1, 大岡伸通3, 林 秀敏1* (* Corresponding authors)

 【所属】

 1 名古屋市立大学大学院薬学研究科 細胞情報学分野
 2 Chordia Therapeutics 株式会社
 3 国立食品医薬品衛生研究所 遺伝子医薬部

 【掲載学術誌】

 学術誌名:FEBS Letters (フェブス レター)
 •DOI番号:10.1002/1873-3468.14296

 【研究に関する問い合わせ】

 名古屋市立大学大学院薬学研究科
 准教授 井上 靖道(いのうえ やすみち)
 E-mail:yainoue@phar.nagoya-cu.ac.jp

 名古屋市立大学大学院薬学研究科
 教授 林 秀敏(はやし ひでとし)
 E-mail:hhayashi@phar.nagoya-cu.ac.jp

 【報道に関する問い合わせ】

 名古屋市立大学 薬学部事務室
 名古屋市瑞穂区田辺通3‐1
 TEL:052-836-3402 FAX:052-834-9309
 E-mail:question@phar.nagoya-cu.ac.jp


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