医学部トップインタビュー

震災復興と再生に向けて医師養成
~東北6県の地域医療を守る―東北医科薬科大学医学部~

 2016年4月に開設された東北医科薬科大学医学部は、11年3月に発生した東日本大震災からの復興と東北の医師不足への対応のほか、福島第一原発事故からの再生に向けて幅広い診療能力を持つ医師の養成を使命とする。国内で37年ぶりに誕生した医学部となり、22年3月に1期生93人が東北地方を中心に全国へ巣立った。医学部創設に尽力した大野勲医学部長は「本学ならではの強みを最大限に発揮し、医学部・薬学部・病院が連携協力した教育で、東北の地域医療の未来を担う医師を育てる」と話す。

大野勲医学部長

大野勲医学部長

 ◇6年で礎を築く

 1期生は、22年の医師国家試験において全国医学部の合格率平均が95.4%(新規卒業生)という中、それを上回る96.8%の合格率を達成した。また、入学した100人の内、93人が最低修業年限の6年間で卒業。医学部のストレート卒業率の全国平均が84.4%ということを考えると、93.0%は快挙と言える数字だ。新型コロナウイルスで臨床実習にも制限が掛かる中、志の高い学生が使命感を持って勉学に励み、さらに大学側の創意工夫もあって乗り越えた結果と言える。

 「医学部の医の字もなかった大学が1期生を送り出し、医師育成機関としての礎を築くことができました。国や東北各県の行政関係者や医療関係者の支援があってのことですが、率直にすごいことだと感じています」

 卒業したら、それで終わりではない。医学部は22年に「医学部卒業生交流支援センター」を新設した。インターネット上のコミュニティーサイトで卒業生・在学生・大学の3者間が交流を図り、卒業後のキャリアをしっかりとサポートする。

 ◇われら真理の扉をひらかむ

 東北医科薬科大学は、1939年に当時としては東北・北海道地区唯一の薬学教育機関となる東北薬学専門学校として創立され、49年に東北薬科大学となった。「われら真理の扉をひらかむ」という建学の精神の下、薬学の研究教育を通じて、広く人類の健康と福祉に貢献する人材の育成を理念に掲げる。卒業生は2万4000人を超えた。

 わが国で薬学部単科大学が医学部を新設した例は無い。今回、医学部を設置できた理由は「本学の創設者が医師であったことが大きい」という。

 「東北の医療を考えたときに、薬剤師だけでなく、医師の育成も重要であることは当時から認識していたと聞いています。薬剤師という医療人養成のノウハウや実績も医学部設置を可能にした要因の一つと実感しています」

福室キャンパス(医学部3~6年次)

福室キャンパス(医学部3~6年次)

 ◇暮らしの場で、地域医療を知る

 医学部の使命は、東日本大震災により顕在化した医師不足の解消、そして、地域医療を支える総合診療医、いわゆる〝かかりつけ医〟の育成にある。地域医療では患者さんを地域の「生活者」として捉える視点が重要だ。そこで、1年次から通常の医学教育に加えて、東北の風土を理解しながら実際を学ぶ「地域医療教育」を実施。東北6県の中核病院を中心とした19の地域医療ネットワーク病院、さらには病院と連携する診療所や介護施設など地域包括ケアを担う関係機関を丸ごと『地域医療の学びの場』として、同じメンバーからなる少人数グループで低学年から高学年にかけて同じ地域をくり返し訪問する体験学習と臨床実習を行う。地域への理解と愛着が湧き、迎える側の医療スタッフや地元の方とも顔なじみになり、良い関係を築くことができるという。

 「地元の患者さん、家族の皆さんや医療スタッフとの継続的な交流が、教室では学ぶことができない貴重な教えとなっています」

 ◇医師のプロフェッショナリズム

 学生たちは6年間で、医師として求められる「基本的な資質」を身に付けて卒業する。資質には「診療の基本となる知識や技能」および「医師としての姿勢」が含まれる。安全で効果的な医療を提供するために医師は一生勉強しなければならない。その覚悟も、卒業までに身に付ける基本的な資質の一つ。一方で、医師としての姿勢は他者への思いやりや寛容であり、医師としての社会的責任の自覚だ。

 「医師としての姿勢が大切であることは6年間で教育できますが、社会に出て経験を通じて磨かれます」

インタビューに答える大野医学部長

インタビューに答える大野医学部長

 ◇同郷の野口英世に憧れて

 大野医学部長は福島市の出身。医師の家系ではない。豊かな自然に囲まれ、遊び回っていた小学生の頃、アフリカの地域医療に尽力したアルベルト・シュバイツァーや医師で細菌学者の野口英世の偉人伝を読み、心が動いた。

 「特に、野口英世は同じ福島県出身ということもあり、親近感を覚えました。医師という職業をぼんやりと意識したのは、この頃かもしれません」

 直接人に関わり、少しでも役に立つ仕事がしたいと医師を目指し、東北大学医学部に入学。80年に卒業後、東北大学医学部第一内科呼吸器グループ(現在の呼吸器内科学講座)へ入局。88年に学位を取得し、90年から約2年間カナダのマックマスター大学へ留学した。

 「病理学教室で気管支ぜんそくの研究に没頭しました。やりたい研究に集中できる、ありがたい環境でした」

 研究内容はもちろん、論理的な考え方に醍醐味(だいごみ)を感じ、現在もその延長線上で研究中という。

 当時は湾岸戦争が勃発し、「日本人としてどう考えているのか」と、よく意見を求められた。

 「さまざまな国の人たちと接することにより、他人の価値観の多様性に違和感が無くなったように思います」

 帰国後、第一内科で診療や研究を中心にしながらも医学教育にも従事していたが、2003年4月に本学(当時の東北薬科大学)へ異動。以降、教育に大きく関わることになった。

 「人助けの仕事として医師を目指したのが、いつの間にか、その医師を育成する側になっていました。今でも外来診療で患者さんを診ていますが、医師を育成することによって、より大きな人助けができているように思います」

福室キャンパス教育研究棟

福室キャンパス教育研究棟

 ◇医学研究科設置で、医学部・薬学部連携を促進

 23年4月に大学院医学研究科設置が決まった。医学部の教育・研究体制を基礎とし、地域医療の課題解決に向けて取り組むことができる、医学・生命科学者および高度な専門職業人の養成を通じて、東北の地域医療への貢献を深化していくことになる。

 「医学研究科では、地域医療の課題解決に貢献できる人材の育成を目指しており、医師に加え、連携できる多様な医療職種の方々の入学を期待しています」

 意欲あふれる社会人学生を積極的に受け入れるという。

 「そのために長期履修制度や昼夜開講制度など、仕事を続けながら修学できる制度を整備しました」

 地域医療では限られた医療資源を活用した地域包括ケアと呼ばれる地域完結型の医療が求められている。多職種の連携が都市部以上に重要になる。

 「医学部完成を機に、医・薬学部連携の下、低学年の医療人共通教育から高学年の医師・薬剤師の専門教育に至るまで、さまざまな段階でチーム医療教育を充実させ、医療現場でチーム医療を効果的に実践できる医療人を育成していきたいと考えています」

 課題もある。国公立大学並みの学費で学ぶことができる修学資金枠は、私立大学医学部では類を見ない規模で、学生の半数以上が利用する。一方、定員100人のうち東北地方出身は3割、それ以外は関東や関西の出身だ。東北6県の地域医療を守るという理念が浸透しているとはいえ、どこまで地元に根付かせることができるのか。これからに注目が集まる。(医療ライター/木村裕子)

大野 勲(おおの・いさお)  1980年東北大学医学部卒業。90年マックマスター大学病理学教室(カナダ)研究員。92年より2003年まで東北大学、03年4月より東北薬科大学薬学部病態生理学教室教授、16年4月東北医科薬科大学医学部副医学部長/教授/医学教育推進センター長、22年4月より医学部長/特任教授/医学教育推進センター。

【東北医科薬科大学 沿革】
1939年 東北薬学専門学校設立
  49年 東北薬科大学設立(薬学部薬学科)
  62年 大学院修士課程設置(薬学研究科)
      64年 大学院博士課程設置(薬学研究科)
2013年 東北薬科大学病院(旧東北厚生年金病院)開設
      16年 医学部医学科設置。東北薬科大学から東北医科薬科大学に改称
          東北薬科大学病院から東北医科薬科大学病院に改称
      東北医科薬科大学若林病院(旧NTT東日本東北病院)開設
      22年 医学部1期生が卒業
      23年 大学院博士課程設置(医学研究科)

【関連記事】


医学部トップインタビュー