医学部トップインタビュー
医学の発展に貢献する人材育成
~疫学からゲノム研究まで幅広い研究環境支援―九州大学医学部~
北園孝成・九州大学医学部長
九州大学医学部は東京帝国大学、京都帝国大学に続く第三の帝国大学として、1903年に創設された京都帝国福岡医科大学が前身。その後、11年に九州帝国大学医科大学、47年に現在の名称である九州大学医学部に改称された。「創設以来、医学に貢献できる医療人を育てる、その理念は現在も受け継がれています」と北園孝成医学部長は話す。
◇世界に誇る大規模疫学研究
九州大学医学部は疫学から高度先端医療まで、幅広い分野の研究を手掛けている。先進的なゲノム研究は強みだが、この他にも遠隔治療やロボット手術、腹腔鏡下肝切除術の確立など、その118年の歴史の中で多くの研究や治療実績を残し、医学の発展に貢献してきた。
「発足当時は九州唯一の大学として医療教育がスタートしましたが、現在においても変わらず、研究を志向する医師を育てることを一番の目標としています」
九州大学医学部の世界に誇る研究の一つが「久山町研究」だ。日本国内の平均値とほぼ同じ年齢や職業分布を持つ久山町の住民約8000人を対象として、脳血管疾患や虚血性心疾患などの疫学研究を行う大規模コホート研究が展開されている。継続期間の長さや、剖検率70%台という信頼度の高さを背景に世界からの注目度も高い。
北園医学部長の教室でスタートした「久山町コホート研究」は、今年で60年を迎えた。この研究の当初の目的は、日本人の脳卒中による死因の正確な解析をすることだった。
脳卒中は、脳の血管が破れる脳出血と血管が詰まる脳梗塞の二つに大きく分けられる。「1950年当時、日本人の脳卒中の死亡率は極めて高く、特に脳出血による死亡率が大部分を占めていました。欧米での診断とは全く異なっていたため、当時はCTがなかったこともあり、国際学会で診断能力が悪いのではないか、とも指摘されていました。そこで、正確な死亡原因を調べて証明しようということが、この研究の始まりです」
久山町研究から始まった九州大学のコホート研究は、今では疾患コホートや環境コホートなど約6万人のデータを解析する研究が実施されている。大学の敷地内には、患者や住民から提供された生体資料を含むさまざまな個人情報を管理する総合コホートセンターが設置された。センター内にはマイナス80℃のフリーザーが50個以上。そこに大切な生体標本が保管されている。
疫学研究の拠点となっている附属総合コホートセンター
「生体資料は患者さんの個人情報になるので、保守面でも万全の態勢を整え、入室時の静脈認証システムを取り入れています。また、情報の流出を防ぐため、窓からの出入りができないよう窓の少ない設計にするなど、物理的な防衛手段を講じたり、貴重なサンプルを損傷しないようバックアップ電源を確保したりしています」
この久山町研究から、将来の生活習慣病の発症リスクを予測するとともに、生活習慣や検査値が変更した場合のリスクの変化をシミュレーションする「ひさやま元気予報」も誕生した。久山町のみならず、福岡市や福岡県など自治体と連携して健康増進に役立つとともに、産官学連携によるさまざまな研究も進められている。
◇研究と臨床は両立するか
新専門医制度が2018年に新設されたが、新制度の下では、2年間の初期研修終了後、3年目以降は基本領域を3年間、そしてその先にサブスペシャリティ領域というプログラムを経験する。これをクリアしなければ専門医にはなれない。
このため、大学院に進んで基礎医学研究をするまでにかなりの年数を経過してしまう。「臨床をするに当たり、基礎研究の経験はとても重要」だが、「今の制度下では専門医との両立が難しいのでは」と北園医学部長は指摘。「新専門医制度で研究者離れが加速するのではないか」と懸念を示す。
「中には、大学を卒業しても臨床研修を受けずに基礎医学教室に進学したり、2年間研修をした後、専門医を後回しにして大学院に進学したりする学生もいます。しかし、研究に没頭できる安定した環境が必要で、このサポート態勢の構築ができないかと考えているところです」
「医学は臨床医学と基礎医学の両輪があってこそ、発展するもの」と北園医学部長は強調する。MD-PhDコースも用意されてはいるが、今のシステムでは、なかなか活用できる状況にないのが実情だという。
九州大学病院の外観
◇田舎町で触れた開業医
北園医学部長は鹿児島県北部の伊佐市の出身。子どもの頃は体が弱く、風邪をひいて熱を出すことも多かった。そのため、よく開業医に往診に来てもらっていたという。医師を目指したのはそんな小学生の頃のことだった。
「田舎町ということもあって、医師は身近に接する職業でした。ある時、兄が熱を出して下がらないため、夜中に往診に来てもらったのですが、家では大変だからと、医師自身の車に乗せて病院に連れて行ってくれました。兄は入院して治療を受けて元気になりましたが、子どもながらに頼もしい存在として憧れるようになりました」
医学部受験を前にして、教育環境の整っている鹿児島市内に出ることになった。
「中学3年から高校1年までの間、開業医の先生のご厚意によって、ご自宅に下宿させてもらいました。高校2年からは、父親を自宅に一人残して母親と兄と3人で、鹿児島市内のアパートを借りての生活に。鹿児島の高校生にとって、九大を目指すというのは一つの目標でしたので、自然の流れで九州大学に願書を出しました」
医学部に入学した当初は、卒業したら田舎に帰って開業医になるものだと思っていたと言う。
「研修医2年目が終わる頃、所属先の教授から勧められ大学院へと進みました。それ以降は留学など、想定していた人生とは違った道を歩いて来ましたが、大学院での基礎研究は、医療をまた違う視点で見ることができた貴重な経験でした」
◇医学と生命科学の刺激
九州大学医学部では、2016年から受験に際して志願理由書や履歴書の提出が必要となった。その背景について北園医学部長は次のように話す。
「それまでは面接をしていなかったのですが、点数だけで判断してはいけないということで導入することになりました。どんな思いで受験したのか、その背景にあるものを書いてもらい選考に生かしたいとの考えです。志望理由を書くことで、医学部を受験する意味を受験生にしっかりと考えてもらう機会にしてほしいと思っています。また、それが重要なことだと考えています」
医学部の医学科と生命科学科は、低学年時に同じ講義を受けることになるという。
「医師を目指す学生と医学研究を目指す学生が同じ教育を受けていることは、ユニークな試みだと思っています。医学科の学生が研究への道を目指す刺激になるかもしれませんし、生命科学科の学生にとっても医療を深く学ぶことで、医学研究のプラスになるのではないかと思っています」
【九州大学医学部 沿革】
1903年 京都帝国大学福岡医科大学開設
1911年 九州帝国大学設置
京都帝国大学福岡医科大学は九州帝国大学医科大学と改称
1919年 九州帝国大学医科大学は九州帝国大学医学部となる
1928年 医学部創立25周年記念式典挙行
1947年 九州帝国大学医学部は九州大学医学部となる
1988年 医学部附属統合教育研究実習センター設置
2014年 医学研究院附属総合コホートセンター設置
(2022/01/05 05:00)
【関連記事】