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地域医療から世界へ
~未来の患者にも貢献する医師を育てる―千葉大学医学部~

 千葉大学医学部は、1874年に地域の有志によって設立された共立病院を起源とし、約150年の歴史を持つ。千葉県内で唯一の医学部として、地域医療に取り組む一方、日本および世界の医学・医療をリードする治療学を推進してきた。卒業生には川崎病を発見した小児科医・川崎富作氏、胃二重造影法を開発した内科医・白壁彦夫氏などがいる。2021年、医学系総合研究棟を84年ぶりに新設し、全国最大級の解剖実習室や居心地の良いアクティブラーニングスペースなど、学習環境が飛躍的に改善されたばかりだ。松原久裕医学部長は「目の前の患者を治すだけでなく、未来の患者にも役立つ医師を育てたい」と語る。

インタビューに答える松原久裕医学部長

インタビューに答える松原久裕医学部長

 ◇受け継がれる二つの精神

 千葉大医学部は外科の初代教授である三輪徳寛氏による「獅胆鷹目行以女手(したんようもく、おこなうに、じょしをもってす)」を基本的なモットーとする。ライオンのような胆力とタカのような洞察力を持ち、女性のような、しなやかで繊細な手を持って医術を行うという意味だ。さらに、食道がん外科治療の成績を飛躍的に向上させた旧第二外科の2代目教授・中山恒明氏の言葉「Begin.continue」(まず始めること、始めたらやめずに続けること)という二つの言葉を医学部の標語として代々受け継いできた。

 「地域医療から世界へ」という基本理念はあらゆる分野で実践されている。理化学研究所をはじめとした学外の研究機関と積極的に連携し、新しい治療法や治療薬の開発にも取り組んでいる。22年4月には、医学部附属病院において塩野義製薬との産学共同研究部門として、ワクチンの治療開発の新しいユニットを作った。ここでは現在の主流を占めている注射型のワクチンではなく、多くのウイルスの侵入経路である鼻や口などの呼吸器粘膜に防御免疫を効果的に誘導できる粘膜ワクチンの開発を目指している。新型コロナインフルエンザの経鼻ワクチンとして期待されている。

 ◇臨床、研究、教育への意欲

 同大医学部が求めるのは臨床、研究、教育の三つに取り組む意欲のある学生だ。

 「目の前の患者を助ける優れた医師になることが最も重要ですが、将来の患者を助けるために研究し、医学を進歩させることも重要です。さらに、自分1人では限られた人数しか治せないし、自分と同じ、あるいはもっと素晴らしい医師を増やすために教育はすごく大事。その三つをやりたいと思う人が来てくれればと思います」

 こうした学生を選ぶため、入学試験では暗記ではなく、物事を論理的に考える力の有無を見極めることに重点を置いているという。

 「感覚ではなく、理論的にやらないと進歩はありません。論理の積み重ねが進歩につながりますから、それができる人を選べたらいいなと思っています」

医学系総合研究棟

医学系総合研究棟

 ◇アテンディングドクターがきめ細かく指導

 教育カリキュラムでは、卒業までにすべての学生が一定レベルに達することを保証する学修成果基盤型教育を導入している。

 また、5~6年生では8週間、自分でテーマを決めて基礎研究や臨床研究に取り組むアスパイア・プロジェクトを推進。年に1度のカンファレンスで研究成果を発表し、そこで最優秀賞に選ばれた学生には、さらに千葉医学会から奨励賞が授与される。21年度の第13回千葉医学会では、大学院生らにまじって医学部4年生による「EBV陽性バーキットリンパ腫におけるエピゲノム異常の解析」が奨励賞を受賞。研究成果が認められる機会があることで、学生たちのモチベーションにつながっている。

 附属病院での臨床実習に際して、教育担当の特任助教がアテンディングドクター(教育専任教員)となり、多忙な現場の医師に代わって学生の教育にあたる。

 「『通常診療で忙しいから学生はそっちのけ』ということがないように、きめ細かな対応ができる仕組みを作りました。また、教育は上の立場の人間が教えるよりも、学生の先輩に当たる若い世代が教える屋根瓦式が有効だということも重要視しました」

医学部の授業の一環として行われる基礎医学等で使用される解剖実習室

医学部の授業の一環として行われる基礎医学等で使用される解剖実習室

 ◇多様なパターンが選べる初期研修

 初期研修には全国から希望者が集まり、半数以上が学外からの研修生である。医学部教育と同様、研修中もアテンディングドクターや助教、大学院生などが継続的に研修生の教育をサポートする。

 研修は自由設計プログラムを採用、大学病院をはじめ、地域の病院や診療所まで多様なパターンで研修先を組み合わせることができる。

 「地域の医療機関の先生方にも臨床教授などの立場になってもらい、責任を持って研修生を教育できるよう工夫しています」

 研修医も含めた医師の働き方改革に関しては、松原医学部長が国立大学医学部長会議の常置委員会副委員長という立場にあり、議論の渦中にいる。

 「働き方改革は絶対にすべきですが、今のままの状況で進めれば、医療現場が崩壊します。診療だけでなく、教育や研究面での議論も進めていく必要があります。人とお金を十分に配置して、日本の医療水準が衰退しないようにしなければなりません」

 ◇本気で勉強したのは医師になってから

 松原医学部長は東京の下町に生まれ、ごく普通のサラリーマン家庭で育った。

 「がんを治したい、手術を通じて病気を治したいという二つの目標がありました。すでに小学校の卒業文集には、がんを治したいと書いてあるのですが、なぜそう思ったのかは自分でも分かりません」

 「本当に医学部行くの?」などと周囲から言われ、両親からも「医者になれ」と言われたことは一度もなかった。

 「何になりなさいとか一切言わない親でした。とにかく人に言われてやるのは嫌いなので、言ったらやらないと分かっていたのかもしれません。自分の好きなようにさせてもらったのは、本当に良かったと思います」

 開成中学、開成高校を経て千葉大学医学部に入学。名門の中高一貫校で学んだことが、その後の人生に大きな影響を与えたという。

 「周りにとんでもない優秀なやつがいっぱいいるので、自分がちっとも優秀ではないということに気付けたのは非常に良かったと思います。医学部に入ってから、医者になるなら、ちゃんと勉強しなきゃいけないと思って、授業には一生懸命出ていました。家で自習するより、授業で勉強するのが最も効率的でコストパフォーマンスが一番良いと思ったので」

 医学部時代は水泳部とスキー部に所属し、勉強一辺倒の学生生活ではなかったという。

 「医者になってからです。むちゃくちゃ勉強したのは。卒業して第二外科に入局し例会で発表するのですが、インターネットのない時代ですから、資料を集めるのに図書館に行って、コピーして解析して、まとめるということを、ひたすら積み重ねました」

 第二外科のモットー、「ノイエス(What’s new? )」に従い、常に何か新しいものを模索するうちに、日本食道学会の理事長、英文ジャーナルの編集長、日本外科学会定期学術集会の会頭を務め、日本の外科をリードする存在となっていた。

松原医学部長

松原医学部長

 ◇志を持って医学医療の進歩を目指す人に

 松原医学部長は「医師の仕事は、やりがいのある素晴らしい仕事。手術をした食道がんの患者さんが5年後も元気でいられることが何よりうれしい」と話す。

 「医師の仕事は何でも1人でできるわけではなく、いろんな職種の人に助けてもらわなくては成り立ちません。チームでみんなと一緒にやることの喜びも感じてもらいたい」

 さらに、「すべての病気が治るようになれば、われわれは要らない存在だが、まだまだ、そういう状況になっていない。一つでも病気を治療したいという志をもって医学・医療を進歩させられる人が1人でも多く出て来てほしい」と次世代に期待を寄せる。(ジャーナリスト/中山あゆみ)

松原 久裕 (まつばら ひさひろ) 1984年千葉大学医学部卒業。91年同大学院医学研究科博士課程(外科系)修了。2004年大学院医学研究院講師(先端応用外科学)を経て、 07年大学院医学研究院教授(先端応用外科学)、13年附属病院副病院長、21年4月より大学院医学研究院長・医学部長。

【千葉大学医学部 沿革】
1874年 千葉町、寒川村、登戸村の有志によって共立病院が設立
  82年 県立千葉医学校、附属病院が設置
1901年 千葉医学専門学校に改称
  23年 千葉医科大学となる
  64年 医学部創立85周年記念、医学部記念講堂が竣工
2001年 大学院医学研究院が設置
      国立大学が法人化され国立大学法人千葉大学が設立
  08年 医学部附属病院の新病棟が竣工
  21年 医学系総合研究棟が竣工


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