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がん治療の転換点に
~陽子線治療装置の小型化に成功~

 日本のがん治療の進歩は目覚ましいが、欧米に比べて外科手術が主流だ。手術より患者の負担が少ない放射線治療の専門家が、その壁を越えようと努力している。注目されているのが、現在多数を占めるX線放射治療 より副反応(副作用)を大幅に抑えることができる陽子線放射治療だが、装置の高価さなどから導入に踏み切れない医療機関も少なくない。医療機器ベンチャー企業がこの難題を解決し、近く厚生労働省の承認を得られる見通しになった。 がん治療における転換点となるかもしれない装置の開発を主導したトップに聞いた。

小型化された陽子線治療装置と開発者の古川卓司社長

小型化された陽子線治療装置と開発者の古川卓司社長

 ◇ベスト・オブ・ベストに疑問

 この企業は、放射線医学総合研究所(放医研)発のビードットメディカル(東京都)。古川卓司社長は放医研に20年間、研究者として勤務し、実績を上げた。複数の病院における重粒子線治療装置の導入プロジェクトも手掛けている。現在、日本の医療産業は世界に大きく水を空けられている。古川社長は「唯一健闘している分野が内視鏡の技術だが、それ以外は国内向けだけか、シェアが20~30%程度にすぎない」と指摘する。CT(コンピューター断層撮影)、MRI(磁気共鳴画像装置)、PET(陽電子放射断層撮影)、マンモグラフィー(乳房専用X線撮影)…。最近急速に普及した手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」はその代表的なケースだ。

 中曽根政権が打ち出した「対がん10カ年総合戦略」(1984年度)で、国が音頭を取って高度先進医療を推進した。古川社長は放医研で重粒子線治療の研究に取り組んだが、悩んだことがある。

 「国立の研究機関として目指すのは『ベスト・オブ・ベスト』だ。そうしなければ、所管する文部科学省の予算も付かない。しかし、ベスト・オブ・ベストが実現しても限られた場所や施設であれば、多くのがん患者を救うことにならないのではないか」

 2022年時点で、陽子線治療が受けられる医療施設は全国で19施設、重粒子線は7施設 だ。一つの施設で対応できる患者は500~1000人とされる。「年に約100万人が新たにがん患者となる。陽子線と重粒子線を合わせても治療できるのは、せいぜい2万5000人にすぎない。これでは、全然足りないことは明らかだ」

 ◇より多くの患者を救う

 古川社長が目指したのはベスト・オブ・ベストではなく、「アフォーダブル」。廉価で導入しやすく、より多くの患者の治療に役立つ装置を開発しようと起業した。

 日本のがん治療では外科手術が主流だが、患者の負担は大きい。欧米では日本に比べて放射線治療の割合が高い。放射線治療のメリットは体にメスを入れずに済むことだ。ただ、X線治療では、予後が長い小児がんの患者が循環器や呼吸器、腎臓などの障害に悩む副反応の問題が指摘されている。陽子線治療はがんの部分にピンポイントで照射することで、他の臓器にダメージを与えない。この点は優れているが、費用や装置の大きさなどといった課題がある。

 ◇ビル3階を1階の高さに

 費用面を見ると、X線が約10億円、陽子線が約50億円、重粒子線は約100億円という。大きさでは、X線装置はビル1階に相当する約4メートルの高さだが、従来型の陽子線治療装置ではビル3階に相当する約12メートルの高さになる。大学病院はじめ大規模な医療機関が多数存在する東京都。そこに陽子線と重粒子線の治療施設がないのは、費用面に加え、スペースという点がネックとなっているようだ。建ぺい率や緑地条例といった要素も絡んでいる。

「より多くのがん患者を救いたい」と話す古川社長

「より多くのがん患者を救いたい」と話す古川社長

 超小型陽子線治療装置は、高さがX線とほぼ変わらない1階分程度。費用は従来型装置の半分の約25億円という低価格を実現した。治療成績はどうだろうか。古川社長によれば、早期発見がしにくく治療が困難とされる膵臓(すいぞう)がんについて「臨床試験では2年後生存率の成績が良かった」と言い、「基本的にはどのがんでも予後が改善する」と考えている」と話す。

 ◇全く新たな発想

 従来型の装置はガントリーという構造体が回転することで加速器から送られてきた陽子をさまざまな角度から照射する。これを小型化するにはどうしたらよいか。考え続けた古川社長はある日、「非回転ガントリー」を思い付く。超伝導電磁石を使うことで構造体を動かさずに照射方向を制御する全く新しい仕組みの装置を生み出した。

 古川社長の座右の銘は「天馬行空(天馬が空を駆けるがごとく)」。「既存の価値観にとらわれず、それくらい自由な発想をするという意味だ」と解説する。

 陽子線治療が保険適用されたのは、2016年の小児がんが最初だ。「保険適用は、政府が『国民がこの治療を受けるべきだ』と考えていることを明白に示している。今後は適用されるがんの種類も増えるだろう」。古川社長はこう前置きした上で、30年までに陽子線治療施設が100を超えると予想する。(了)

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