一流に学ぶ 人工股関節手術の第一人者―石部基実氏

(第3回)即決で股関節研究に=米国留学で評価得る

 ◇無給でも頑張る

 最初の臨床経験は北大だったが、今につながる人工関節の手術は教授だけが行い、他の医師にはチャンスが与えられなかった。まだ症例数も少なく、手術自体が週に1件程度しかなかったことも原因のようだ。

 「残念ながら北大では、僕にとっての『赤ひげ』には出会わなかったですね」

米ロチェスター大に留学。前列左から2人目が石部医師
 1989年、米国ニューヨーク州にあるローチェスター大学医学部整形外科に留学する機会を得た。北大の教授が見学した病院で石部氏と同じような骨代謝の研究をしている医師がいるからと声が掛かったのだ。無給で渡航費の補助も出ない。だが、骨代謝の研究ができるのならと、米国に渡ることにした。

 「現地のボスがとてもいい方で、1年が終わった時『彼は素晴らしい研究をやっていて、周囲の人間ともうまくやっているから、もっといてほしい。給料も出す』と教授に手紙を書いてくれました。それで、もう1年いられることになりました」

 最初は恵まれない条件であっても、そこで頑張れば状況は変えられる。2年後には、さらに好条件で慰留されたが、北大の教授から戻るように言われ、2年間で帰国する。この間に7編の論文を書き上げ、米国の学会で3題の発表も行った。研究の成果はその後の診療にも役立っているという。

 ◇骨は生きている

 「人工股関節を固定するには骨セメントを使う方法と、使わずに患者の自己治癒力で固定する方法があります。僕は一貫して骨セメントを使用していません。留学中に骨芽細胞を顕微鏡で観察し、『骨は生きている』ということを実感したからだと思います」

 北大に戻った後、1994年にNTT札幌病院整形外科(現・NTT東日本札幌病院)医長に、5年後には部長に昇格。地道にコツコツと努力してきたことが、きちんと認められるようになってきた。

(ジャーナリスト・中山あゆみ)


→〔第4回へ進む〕手術技術向上へ奮闘=患者の誤解、不安を払拭

←〔第2回へ戻る〕「赤ひげ」見て医師志す=競技ダンスで北海道王者



  • 1
  • 2

一流に学ぶ 人工股関節手術の第一人者―石部基実氏