一流に学ぶ 人工股関節手術の第一人者―石部基実氏
(第3回)即決で股関節研究に=米国留学で評価得る
◇無給でも頑張る
最初の臨床経験は北大だったが、今につながる人工関節の手術は教授だけが行い、他の医師にはチャンスが与えられなかった。まだ症例数も少なく、手術自体が週に1件程度しかなかったことも原因のようだ。
「残念ながら北大では、僕にとっての『赤ひげ』には出会わなかったですね」
「現地のボスがとてもいい方で、1年が終わった時『彼は素晴らしい研究をやっていて、周囲の人間ともうまくやっているから、もっといてほしい。給料も出す』と教授に手紙を書いてくれました。それで、もう1年いられることになりました」
最初は恵まれない条件であっても、そこで頑張れば状況は変えられる。2年後には、さらに好条件で慰留されたが、北大の教授から戻るように言われ、2年間で帰国する。この間に7編の論文を書き上げ、米国の学会で3題の発表も行った。研究の成果はその後の診療にも役立っているという。
◇骨は生きている
「人工股関節を固定するには骨セメントを使う方法と、使わずに患者の自己治癒力で固定する方法があります。僕は一貫して骨セメントを使用していません。留学中に骨芽細胞を顕微鏡で観察し、『骨は生きている』ということを実感したからだと思います」
北大に戻った後、1994年にNTT札幌病院整形外科(現・NTT東日本札幌病院)医長に、5年後には部長に昇格。地道にコツコツと努力してきたことが、きちんと認められるようになってきた。
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(2017/05/11 16:12)