一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第4回)パチンコに熱中、3浪目に =最後は猛勉強、医師の道へ

 パチンコでもうけたお金は、次の医学部受験の受験料として蓄えた。「神童」と呼ばれた息子が名門高校に入りながら、いわば「落ちこぼれ」の状態にあったが、希望だけは捨てていなかった 。しかし、そんなことは知らない教育熱心な母親の焦りは相当なものだっただろう。天野氏が浪人中は何度となく勉強のことで衝突したという。

 「母が勉強のことでうるさく言った時、父が『もう子どもじゃないんだから考える通りにさせてあげなよ、お母さん』と母に言ったことがありました。女性の方が結果をすぐに期待するでしょう。でも、父は『こいつはいつか自分で何とかするだろう』と見守ってくれていた。父にすまないというよりは、期待に応えないといけないと思いました」


 しかし再び受験は失敗。本気で受験勉強に向かったのは3浪目に入ってからだった。「パチンコが手打ち式から電動式に変わると急に勝てなくなって、一気にパチンコへの興味がなくなりました」と天野氏。「父親の病状が悪化して、もうこれ以上親に迷惑は掛けられないという気持ちもあった。絶対医者になるんだ、とにかくどこかの医学部に入ろうという気持ちが固まりました」

 気持ちが決まれば行動は早い。自分をとことん追い込んで1年間、ひたすら勉強した。確実に結果を出すために、名門大学が多かった国立1期校を捨て、試験日が重なる日本大学医学部を受験して合格を果たす。

 「ただ勉強ができるから医者になるのではなく、挫折を経験したことで、医師になって患者さんを助けるんだという覚悟ができたのだと思います」。こうして、天野氏はようやく医師への道を歩み始めることになる。(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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