一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第5回)日大医学部に入学 =経済格差を目の当たりに

 入学直後に入部したスキー部では、決定的な経済力の違いを見せつけられる。

 「スキーはお金が掛かるといっても、掛け方が半端じゃない。年間60万~70万円の持ち出しがありましたから、わが家の家計では無理でした。育英会の奨学金が月3万円。家庭教師のアルバイトもしていましたけど、それでも続かなかった。年功序列で実力主義じゃないところも自分には合わなくて、ワンシーズンで辞めました」

 卒業式後の謝恩会の光景も切ない思い出として残っている。医学部の先生たちが他の保護者たちに囲まれて談笑している中に、天野氏の両親の姿はなかった。

日本大学医学部1年の時。スキー部に入学したが…
 「他の親御さんは医師同士のつながりもあるからその場になじんでいたけど、うちの親はそういうの、全然なかったから。居場所がなくて、2人でウロウロしていてかわいそうでした。『こういう華やかな場所に来られたのも、お前が医学部に入ったおかげだ』って、それだけで満足していて、なんか哀れだった。なんか違う所に来ちゃったかな、という思いはありましたね」

 しかし、今は逆に、天野氏が生徒の父母に囲まれる立場になった。

 「親御さんが『うちの子が大変お世話になりまして』とか『写真を一緒に撮らしてください』とか、自分の周りに集まって来るわけですよ。そのたびに、ああ、俺はそうじゃなかったな、と当時のことを思い出します。あのときは、俺んちが一番貧乏なんだなって思ったけど『ここからが俺のスタートだ』っていう開き直り感もありました」

 実際、医師になって収入を得るようになってからは、実家に仕送りをして、学費分以上の恩返しはできたという。わが子を信じて見守ってきた両親の思いは報われた。

(ジャーナリスト・中山あゆみ)


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