一流に学ぶ 日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏

(第7回)シャトル爆発に衝撃、戸惑いも =34歳で結婚、夫が全面支援



NASAが公表した米スペースシャトル「チャレンジャー」事故の写真。右側の固体燃料ブースターロケットの下方から異常な炎が出ている(アメリカ・フロリダ州のケネディ宇 宙センター)【AFP=時事】
 「宇宙飛行士になることは、まったく迷わなかったけど、あの時だけは迷いましたね」。向井千秋氏が訓練を開始して4カ月後の1986年1月28日、米スペースシャトル「チャレンジャー」が爆発、打ち上げから73秒後に空中分解し、7人の乗組員が死亡する大惨事が起きた。

 「米国に住んでいる弟から夜中に電話で知らされて、テレビをつけたらシャトルが爆発する様子が映っていて。体中がガタガタ震えました。乗組員の中には1度会ったことのある日系人のオニヅカさんもいたし」

 この後、スペースシャトル計画は凍結され、目の前にあった宇宙への夢は先の見通しが立たなくなってしまった。

 「人生そんなに甘くないなと思いましたね。20世紀の科学技術は宇宙を人に送り出して仕事をさせるようになったんだと感激して宇宙飛行士になったけど、米国の威信をかけて科学の粋を集めたあのシャトルが落ちるんだってことに驚がくしました」と向井氏。人間がやることでパーフェクトはないと、思い知らされたという。

 当時の日本は今のように国際宇宙開発に本腰を入れておらず、予定されていた飛行はわずか1回。しかも選ばれた3人のうちシャトルに乗れるのは1人だけ。いつ再開されるか分からないチャンスを待っても、飛べない宇宙飛行士で終わる可能性があった。

 「医者に戻ろうかどうしようか、すごく悩んだ。だけど人生ってそんなに簡単にはいかなくて、石の上にも3年っていうし、やり始めちゃったことだし、まあやるかと思って」

 打ち上げ再開のめどがたつまで、宇宙飛行士に選ばれた3人は、それぞれ別の場所に留学し、勉強しながら待つことになった。向井氏の留学先は、ジョンソン宇宙センター内の宇宙生物医学研究所に決まった。

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