女性アスリート健康支援委員会 諦めない心、体と向き合うプロ意識

五輪の夢追い渡米、メディカルチェックに驚く
フィジカル見直し女子バレー銅の一員に―ヨーコ・ゼッターランドさん

 日本と米国という「二つの祖国」で活躍するという、バレーボール選手として稀有(けう)な人生を歩んだヨーコ・ゼッターランドさん。中学時代に本格的にバレーを始めた頃から夢は大きく、オリンピックで金メダルを取ることだった。その背中を押し、支えてくれる大きな存在だったのが2017年に亡くなった母親の堀江方子(まさこ)さんだ。

 米国代表当時、母親の堀江方子さん(左)と。1996年9月、ワールドグランプリ大阪大会の試合後のツーショット(ゼッターランドさん提供)
 母は、日本中が金メダルの快挙に湧いた1964年東京五輪の「東洋の魔女」に先立つ時期に、日本代表のキャプテンとして世界選手権銀メダルのチームを率いたセッターだった。ゼッターランドさんはその背中を追うように、東京都文京区立第十中学時代からセッターでプレーし、全日本中学選手権で優勝。ジュニアの逸材として頭角を現し、バレーの強豪だった私立中村高校(東京)に進学した。

 そのバレー部のヘッドコーチを担ったのは方子さん。さまざまな選手の異なる素材を生かし、潜在能力を引き出す指導力にたけていたという。「常にベストを、最高の技術を求めて、全く妥協しないコーチ。できるまで諦めず、やめないこと、基礎とオリジナリティーを大事にすることを教わりました」とゼッターランドさんは明かす。

 高校卒業後は、誘いのあった実業団のチームには入らなかった。視野を広げようと、バレーと学業の両立を追い求めて早稲田大に進学するという、トップ選手としては異例の進路を選んだ。関東大学リーグ6部の弱小チームを2部まで押し上げたのは今でも語り草だが、実業団選手主体の日本代表には呼ばれなくなってしまった。そのことが五輪出場の夢を追い、米国行きを決断する伏線になる。米代表チームのメンバーを選ぶトライアウト(入団テスト)があることは、方子さんが教えてくれた。

 ◇トライアウト合格、驚いた婦人科検診

 「米代表チームでは婦人科の定期健診があり、びっくりしました」と話すヨーコ・ゼッターランドさん
 ゼッターランドさんは今、日本産科婦人科学会と日本スポーツ協会などがつくる「女性アスリート健康支援委員会」の理事にも名を連ねる。女性選手の健康問題を考えるとき、思い浮かべるのは、単身渡米して、米代表のトライアウトに合格し、プロ契約を結んでチームに加わった当時のメディカルチェックだ。「チームの医療スタッフに婦人科医が名を連ね、メンバー全員が定期的な健診を受けていた。医療との連携がしっかりしていました」と振り返る。

 スポーツ大国の米国では、スポーツ医学の研究が進んでいた。女性アスリートに特有の無月経や骨粗しょう症、摂食障害といった健康問題を学会が取り上げ、警鐘を鳴らしたのは、ゼッターランドさんが米代表チームにいた1990年代のことだ。日本では99年に避妊薬として解禁され、近年、月経痛などに苦しむ選手のコンディション調整にも使われるようになった低用量ピルも、既に広まっていた。

 「日本にいた時は、婦人科の定期健診を受ける必要があるとは考えていなかったので、びっくりしました。女性の医師が選手の相談に乗り、体調に問題があるなら、しかるべき薬を処方したりして、その情報をトレーナーやコーチと共有していました」。個人情報なので「プライバシーの深いところ」を守る配慮はあったと言うが、選手たちがフランクに体の話をすることにも新鮮な感覚を覚えた。

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