女性アスリート健康支援委員会 諦めない心、体と向き合うプロ意識

五輪の夢追い渡米、メディカルチェックに驚く
フィジカル見直し女子バレー銅の一員に―ヨーコ・ゼッターランドさん


 ◇決まっていたチームの平均体脂肪率

 米代表チームの監督は、選手たちのフィジカル管理にも厳しかった。ゼッターランドさんは、チームが目指す選手たちの平均体脂肪率が15%と決まっていたことに驚いた。当時、180センチ近くある身長に対して体重は65キロと、チームで一番体が細かったのに、体脂肪率は一番高かった。チームメートと海に行って水着姿になった時、「とても痩せているわね」と言われて「ほめ言葉だな」と喜んだのは勘違いだった。

 米代表チームに入り、フィジカルを鍛え直した経験を振り返るヨーコ・ゼッターランドさん
 バレーの選手は体重が重ければ、その重りの分だけ高く跳べず、ひざに負担がかかって「ジャンパーひざ」と呼ばれるスポーツ障害になりやすい。だが、体脂肪の代わりに筋肉を付ければ、ジャンプのパワーも生まれる。「当時はサイドアウト制で、フルセットの長い試合だと2時間半くらいかかる。その最後に、スタート時と同じくらいの感覚でパフォーマンスできる体をつくらないと、国際試合で戦えません。私はまだ、チームが求めるフィジカルを備えていませんでした」

 選手たちは年に数回の体脂肪率の測定を義務付けられた。体脂肪率までデジタル表示される体重計はまだなく、今から見ればアナログな機器で測った。一般に、女性は思春期以降、男性よりも体脂肪率が高くなる。体脂肪を極端に落とすと、運動無月経などの問題を招く原因にもなる。トレーナーもしっかり、選手たちの体づくりに向き合った。

 体脂肪率の目標をクリアできず、チームから外されたメンバーもいた。ゼッターランドさんは「あすはわが身。ここまで来て、オリンピックを目指せなくなるわけにはいかない」と食事を見直し、筋肉を付ける肉体改造に真剣に取り組んだ。

 ◇五輪初出場の試合は因縁の日本戦

 米国に渡って1年余が過ぎた92年8月のバルセロナ五輪に、ゼッターランドさんは米代表チームの一員として出場を果たした。正セッターではなく、控えのセッターという役割だったが、渡米を選択した決断が、夢の大舞台を手繰り寄せた。当時の世界は、東京五輪以降続いた日本とソ連の二強時代が遠のき、米国は十分、表彰台を狙える位置にいた。

 バルセロナ五輪に米国代表として出場し、日本戦でレシーブをするヨーコ・ゼッターランドさん(時事)
 何の因縁か、ゼッターランドさんが初めて出場した試合は予選リーグの日本戦。正セッターに代わり、試合の大半のトス回しを任された。セットカウント2対2で最終セットにもつれ込んだ激闘は最後、ジュニア時代から知る大林素子選手のアタックがゼッターランドさんの目の前で決まる悔しい敗戦となった。

 だが、チームは2勝1敗で予選を勝ち抜き、決勝トーナメントに進んだ。金メダルを取ったキューバにフルセットで敗れたものの、最後はブラジルに勝って銅メダル。日本は5位だった。「日本にいた時は、目標だったオリンピックがどこか遠いところへ行ってしまった感じになった。米国に来て、オリンピックの代表に選ばれ、控え選手だったけれども出場機会があり、金色ではなかったけれど、メダルも取れた。1年余りの間で本当に大きな変化でしたね」

 「諦めず、やめない」。その精神で夢を追い、初めてのオリンピック出場でメダルを手にした23歳は、次のアトランタ五輪に向け、さらに高い目標を見据えた。(了)


◇ヨーコ・ゼッターランドさんプロフィルなど

◇アトランタの「ミッション・インポッシブル」(諦めない心・体に向き合うプロ意識・中)




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