女性アスリート健康支援委員会 スケートに懸けた青春、月経の悩みは

長い人生考えて体づくりを
校庭リンクから世界へ、経験次代に―吉井小百合さん

 スピードスケート女子短距離のトップ選手としてトリノ、バンクーバーの両五輪に出場した吉井小百合さん。ハードな練習を続けていた時には、無月経になった時期もあり、「子どもを授かれないかもしれない」と思ったこともあったが、引退した今は、2児の母だ。「やはり競技をしている段階から、アスリートとして勝つためだけではない、長い人生を考えた体づくりをしていく必要がある」と実感を込めて話す。

 「勝つためだけではない、長い人生を考えた体づくりを」と話す吉井小百合さん
 スケート人生の原点は「校庭リンク」だ。長野県茅野市の生まれ。八ケ岳を望む標高1000メートルほどの山間部にあった小学校では冬になると、近くの川の水を校庭に引いて凍らせ、リンクを造った。5歳でスケートを始めた3人姉妹の末っ子は、小学生になると朝6時台から、姉などのお下がりのスケート靴を履き、たき火をする保護者らのそばで滑った。「夜間にリンクの表面がでこぼこにならないように、先生たちがお湯をまいてくれた。授業中に雪が降ると、全校生徒が外に出て、ほうきでリンクの雪かきをすることもありました」

 走ることが好きで、5年生の時にはアトランタ五輪の女子マラソンで2大会連続のメダルを取った有森裕子選手の「初めて自分で自分をほめたい」という言葉に感動し、陸上でオリンピックを目指す夢を抱いた。だが中学1年の時、母が買ってくれた新型のスラップスケートの靴を履いて滑ると、いきなり全国大会で3位に入り、スケートが面白くなった。

 地元長野で開かれた冬季五輪の観戦が運命を決定づけた。男子500メートルで金メダルを取った清水宏保選手の滑りは圧巻だった。「大勢の観客がいる中の集中力は本当に格好良くてオーラを感じた。自分もあの空間に立ちたいと思いました」。オリンピックの夢をスケートで達成する目標に変えた瞬間だった。

 ◇月経の悩み「相談できる場あったら」

 小学生時代、「校庭リンク」で滑る吉井小百合さん(右)(本人提供)
 初めての月経が来たのは中学2年の春だった。細い体にワンピース(レーシングスーツ)を着て滑っている姿を「風になびく蚊みたい」と言われることもあった少女は、体脂肪が付いて成長する時期を迎えた。「やはり体質が変わっていくのを感じて。学校の保健室ではなく、スポーツとのつながりの中で月経の悩みを相談できる場所はないのかと考えることもありました」と振り返る。

 ジュニア時代から全国レベルの選手になり、アスリートとして栄養学は繰り返し学んだものの、月経に関する知識を学ぶ機会はまだなく、自分で情報を探すしかなかった。無論、男性指導者に相談できるような雰囲気はなかった。登校中に月経痛で具合が悪くなり、監督にきょうは練習を休むと伝えた先輩選手が「練習が嫌なんじゃないか」と思われてしまうこともあったそうだ。

 「痛みを訴えても『心が弱い』とか『練習したくないからだ』と言われると、もう月経が来ない方が楽だと思ってしまう。それが月経不順をひどくさせてしまうんです」。実業団に入ると練習は一層厳しくなり、月経の悩みも深まった。競技人生の集大成となったバンクーバー五輪の1年ほど前から、低用量ピルを飲んで月経痛を緩和し、月経をコントロールするようになるまで、長い間、悩みを克服することはできなかった。

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