「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

多くが高齢者、22例中9例は低体温
~能登・輪島で検案の法医学会第1陣―新潟大教授~ 【第5回(下)】

 「最初はゆっくりした揺れでしたが、途中から車が大きく左右に揺さぶられ、恐怖を覚えました」。新潟大学医学部の高塚尚和教授は1月1日、実家がある岐阜県に向かう途中、新潟県長岡市内のパーキングエリアで、最大震度7を記録した能登半島地震の揺れに遭遇した。

 新潟市に引き返した後、日本法医学会庶務委員会の委員として、翌2日に設置された対策本部で調整作業などに当たり、第1次派遣の他の3人と共に6日に能登半島の現場に入った。被災地での活動で経験したことを聞いた。

倒壊した家屋の前を通り過ぎる人=2024年1月3日、石川県穴水町【AFP時事】

倒壊した家屋の前を通り過ぎる人=2024年1月3日、石川県穴水町【AFP時事】

 ◇6日朝、石川県警本部に集合し出発

 法医学会では新潟も石川と同じ中部地区に属しています。庶務委員長の池松和哉長崎大学医学部長から、派遣第1陣の立ち上げに関わってほしいと言われました。

 現地に持参する物として携帯食、パン、ポリタンクやペットボトルの水などのほか、アウトドアショップで冬用の寝袋とテント用マットを買いました。遺体検案に使う大学の備品を入れた透明な衣装ケースなどと一緒に自家用車に積み込み、5日に新潟を出発しました。

 (犠牲者の死因などを記入する)死体検案書は普通1枚紙ですが、書いてそのままご遺族に渡すと写しが残らなくなり、後で事務上の不便が生じます。法医学会では、上から書くと下の2枚に複写される3枚つづりの検案書を作っており、大学の事務の方にお願いして、4日に(法医学会事務所がある)東京都監察医務院まで取りに行ってもらいました。

 第1陣ということなので、部数は500部です。東日本大震災の時は、3連写の検案書はありませんでした。

 これなら必ず2枚複写されるので、1枚は検案した医師が保管し、もう1枚は警察に提出してしっかりした記録を残せる。後で再発行が必要になっても対応可能な形ができたわけです。

損壊した道路で動けなくなり、放棄された車(写真の一部を加工)=2024年1月6日、穴水町【AFP時事】

損壊した道路で動けなくなり、放棄された車(写真の一部を加工)=2024年1月6日、穴水町【AFP時事】

 第1陣は輪島と穴水に行く班と、珠洲に行く班の計4人です。6日朝、金沢市の石川県警本部に集合。物資をワンボックスタイプの警察車両2台に移し替えて、午前8時半に能登に向けて出発しました。

 穴水の手前くらいから家屋が倒壊していたり、塀が倒れていたりするのを目にしました。路面には大きな段差が生じ、車が落ちているのを見て、これはただ事ではないと感じたわけです。

 同乗していた警察官から「穴水はもっとひどいですよ」と言われ、車が町の中に入ったら本当に多くの家が倒壊し、傾いていました。

 道の駅はトイレが使えませんでした。珠洲市から来たおじいさんと「(断水で)トイレが駄目ですね」と言葉を交わしたら、「きょうまで何とかとどまっていたが、もう住むことができない。避難するところなんです」と話されていました。その時の表情が、今も記憶に残っています。


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