「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

多くが高齢者、22例中9例は低体温
~能登・輪島で検案の法医学会第1陣―新潟大教授~ 【第5回(下)】

遺体安置所となった石川県輪島市の旧中学校体育館(日本法医学会石川県派遣団 高塚尚和撮影)【時事通信社】

遺体安置所となった石川県輪島市の旧中学校体育館(日本法医学会石川県派遣団 高塚尚和撮影)【時事通信社】

 ◇届かない遺体、遅れに遅れ翌日午後に

 そこから先は、土砂崩れや道の崩壊、家屋の倒壊など状態が本当にひどくなりました。東日本の派遣時には、津波で家屋などが無くなっているのを見ていますが、例えば(宮城県)石巻市の元の姿を知らないので、物が無いというイメージです。今回は、元の町並みが壊れているというか、(倒壊した物がそこに)残っているのを目の当たりにしたという意味で、ショックは大きかったです。

 輪島署に着いたのが午後2時40分。荷物を置かせてもらって、遺体安置所になっている旧中学校の体育館に移動し、(先遣隊の)水上創・金沢医科大学教授と引き継ぎをしました。圧死の方もおいでになりますが、低体温症で亡くなられた方もおられますよというお話でした。

 初日に私が検案した1例は、低体温症で亡くなられた方でした。派遣期間中に検案したのは22例です。30代が1例、50代が3例、60代が1例、70代が9例、80代が5例、90代が1例。そのほか焼損が激しくて分からないのが2例でした。(多くが)高齢の方になりますね。

 死因で多いのは低体温症で、9例です。家屋倒壊による広い意味での圧死は10例。倒壊した家屋の中で、無理な体位のため呼吸運動ができにくい状態になって亡くなった方が1例。それから焼死体(の状態)が2例ですが、原因が本当に焼死なのか分からないので、死因は不明ということになります。

 死因の特徴は基本的に二つあって、一つは家屋の倒壊による圧死。それと倒壊によって直接の死因となり得る外傷を負わなかった、窒息状態にもならなかったが、脱出することができず、低体温症になられたということになるかと思います。

 午前8時半に輪島署を出て、遺体安置所に行くわけですが、実を言うとなかなかご遺体が来ないんです。交通の便が悪くて。2日目は午前中ゼロでしたが、午後になってから一度に20体でした。

 午後2時か3時すぎですかね。それは前日の夜に到着するはずのご遺体でした。道路状況が悪くて搬送が難しく、遅れに遅れてその時間になったということです。道路自体が壊れているのと渋滞と、要因は両方だと思います。

0次(先遣隊)~8次までの派遣期間に実施した能登半島地震の検案数(日本法医学会提供資料を加工)【時事通信社】

0次(先遣隊)~8次までの派遣期間に実施した能登半島地震の検案数(日本法医学会提供資料を加工)【時事通信社】

 ◇進む災害遺族の心のケア

 検視・検案の流れですが、警察の検視官が責任者になり、チームで行う検視に要する時間が15分から20分。その後、「来てください」と呼ばれて説明を受け、われわれが血液を採取するなどして、(死亡日時や死因などを調べる)検案をさせていただく。それが10分から15分。そして検案書を書くわけです。

 ご遺族が(遺体を引き取りに)来られる場面を拝見したこともありましたが、やはり何とも言えない雰囲気ですね。ご高齢の方も多いですし、悲しみを感じました。

 警察には、ご遺族に対応する被害者支援のセクションがあって、(安置所に)4人いらっしゃいました。災害の初期段階から、きちんと遺族の心のケアをしなければいけないということで、来られていたと思います。

 また、一般社団法人「日本DMORT」の方も2人。災害死亡者の家族を支援するチームで、専門の知識を持った看護師さんです。警察の支援をサポートする形で、私が輪島に入った時には既におられました。

 これまで日本で起きたさまざまな災害を経験して、心のケアという点で対応が非常に進んできているなと感じました。


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