業務上疾病と労働災害補償保険

 会社で働いている人が、その仕事に関連して負傷、疾病、障害をこうむったり死亡すれば、労働災害補償保険法にもとづく労働災害補償保険(労災保険)が給付されます。給付の対象には通勤途上の災害によるものも含まれます。
 労災保険の保険料は全額会社負担で、強制加入ですが、労災に対する診察や治療のための療養費は医療保険とは異なって、患者の自己負担はありません。時には、本来労災保険で支払われるべき事故や業務上の疾病について、健康保険を使うよう会社から求められることがありますが、これは違法です。労災保険では療養費に加え、休業補償、障害補償、死亡災害の場合の遺族補償もあります。
 ただし、業務災害または通勤災害による傷害や疾病などに対し、労災保険の給付を受けるためには、労働基準監督署長により業務上災害・疾病として認定されることが必要です。業務上であるか否かの判断は、裁判などのあらそいになることがあります。
 労災保険の対象として認定される業務上疾病者数は全体に減少傾向にありますが、もっとも多いのは「負傷に起因する疾病」で、その多くはいわゆるぎっくり腰などの急性腰痛症です。これに騒音性難聴などの物理的因子による疾病が続いています。また最近は、過重労働による心臓や脳血管疾患、うつ病やメンタル原因の自殺など、いわゆる過労死もふえています。

■雇用形態と過重労働の問題
 今日わが国の非正規雇用者は2000万人を超え、その割合は40%に迫っています。非正規雇用といっても、それにはさまざまな形があります。基本的には「フルタイム」「終身」「直接」の伝統的な正規雇用に対して、短時間の「パートタイム」、期間限定の「契約」、そして雇用者と使用者が異なる「派遣」が含まれています。これら非正規雇用労働者の賃金は全体では正規労働者の3分の2に過ぎず、労働条件や福利厚生施策も劣り、それらはしばしば社会問題として論じられてきました。しかし、非正規雇用が労働者の健康にどう影響するかを調べた研究は決して多くはありません。
 今、労働に伴う健康の問題として長時間労働・過重労働が大きな問題になっていますが、非正規雇用は過重労働の問題と密接に関係しています。すなわち、正規労働者の長時間労働でも処理しきれない過重な業務への対応のために、賃金の安い非正規労働者が導入されてきた経過があります。しかし、非正規雇用労働者の導入は必ずしも正規労働者の労働負荷の減少につながらず、むしろ賃金や待遇の格差による軋轢(あつれき)などの問題も発生しています。非正規雇用は労働者の団結を弱体化させ、経営者との交渉力を弱め、結果としての労働者の権利保護にとっての障害になることを国際労働機関(ILO)は指摘しています。
 こうした雇用身分の多様化に加えて、今日産業現場では就労状況の多様化が進行しています。9-17時の定型的な勤務時間に対して就業時間帯を自由に変えられるフレックス勤務、1日の就業時間を8時間+残業時間の実績ではなく、あらかじめ固定した残業時間相当分を加えたみなし就業時間として働く時間や時間帯を本人が裁量できる裁量労働制、インターネットを使った在宅やリモートオフィスでのテレワーク、身分は元のままで他の会社の業務の一部を請け負う業務委託や外注。そして、まったく別の会社で別の業務をおこなう副業などです。
 インターネットが生活と労働のあらゆる場面に入り込み、仕事の中身も以前とは大きく変化しつつある現在、こうした多様化はある意味当然のことかもしれません。その結果、通勤時の混雑が緩和され、自宅での育児や介護の空いた時間に会社の仕事をするなど、ワークライフバランス実現に寄与するかもしれません。しかし、裁量労働では過大な業務量のため長時間の所定外勤務をしても残業手当はつかず、テレワークでは業務のために深夜早朝も含め24時間の対応が求められる一方、移動や顧客対応でパソコンを使わない時間の労働はカウントされにくくなりがちです。委託業務では、業務を発注した企業の従業員が受注企業の従業員に対して優位な立場となり、自社内では決して起こらないようなハラスメントがおこなわれた事例があります。副業も、会社が従業員の自主性を尊重したのではなく、単に成果を上げられない従業員を半解雇する手段に用いられることがあります。加えて、副業中や副業先への移動中に発生した労働災害について、どちらの企業が責任を取るのかはすでに大きな問題になっています。
 昨年の国会で成立した働き方改革関連法は、残業時間の上限規制をおこなうとともに「同一労働同一賃金」を進め、今日の労働現場の問題を解決する画期的な意味合いを持つ側面があります。しかし同時に、一部ではありますが「脱時間給制度」も導入され、今後なし崩し的に多くの労働者が労働時間規制のない過重労働を強いられる懸念があります。そして、こうした過重労働による健康障害対策としては、臨時の健康診断が定められていますが、企業はこの健康診断さえ実施していれば良いとして、業務自身の見直しをしない安易な過重労働対策に走る可能性があります。
 働き方改革は、健康診断の追加とともに産業医の権限強化を含みますが、現在の長時間労働者の産業医面接が健康障害の原因である長時間労働を制限する権限を持たず、もっぱらまだあきらかな健康障害に至ってない長時間労働者の過重労働を容認する役割を担わされている現実があります。こういう問題は新しく、その対策も確立していませんが、それが働く人の健康にとってどうかという観点で整理してみることは大切なことです。
横浜市立大学医学部医学科同窓会 倶進会