旧優生保護法に基づく強制不妊手術を巡る訴訟の原告で、宮城県内に住む70代の飯塚淳子さん(仮名)は、20年以上にわたって国に謝罪を求めてきた。「国に責任を取ってもらえる判決であってほしい」。最高裁大法廷で29日開かれる弁論を前に心境を語った。
 飯塚さんは中学卒業後、知的障害者に職業訓練を行う「職親」の家に預けられ、住み込みで家事を手伝っていた。16歳の時、職親の妻に連れられ、何も知らされずに不妊手術を受けさせられた。術後、療養していた実家で両親の会話を聞き、初めて子どもが産めない体になったと知った。
 「子どもができないことを引け目に感じることが多かった」。東京都内で就職後、産める体に治してもらおうと病院に行ったが、医者からは「手術してもだめだろう」と告げられた。20代で結婚し、子どもを諦めきれず養子を迎えたが、夫との間に実の子ができないこともあって離婚した。
 知人の看護師との会話や父親の手紙などから不妊手術は旧優生保護法に基づくものだと知った。1997年に支援団体に相談し、自ら宮城県に手術記録の情報公開請求をしたが、回答は「不存在」。記録が処分され、証拠資料がないため訴訟も起こせず、20年以上にわたり国に謝罪や補償を求め続けた。
 転機となったのは、飯塚さんの人権救済申し立てを受けた日弁連が2017年、国に提出した意見書だった。報道を受けて別の女性も声を上げ、翌18年1月の初提訴につながった。飯塚さんも、手術が行われたと県知事が認めたことで、同年5月の提訴にこぎつけた。
 一審仙台地裁は旧優生保護法を違憲としつつ、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」が適用されるとして訴えを退けた。他の原告が起こした訴訟で大阪、東京両高裁が賠償請求を認めたことから期待したものの、二審仙台高裁でも飯塚さんの控訴は棄却された。
 飯塚さんは「人生はやり直しがきかない。生きているうちにとにかくいい判決が出てほしい」と願う。判決を通して「障害者の生きる権利」も訴えたいと言い、「ちゃんとした支援があれば障害者でも子どもを育てられる。不妊手術はなくしていかないといけない」と力を込めた。 (C)時事通信社