Dr.純子のメディカルサロン

雇用・待遇格差が健康に影響
~企業トップの意識改革不可欠~ 投資指標にメンタルヘルス対策

 産業医として行う企業の従業員との面談で、非正規雇用の人から不眠や食欲不振などの相談を受けることがよくあります。将来に対する不安や賃金格差に対する不満が健康にも何らかの影響を与えている様子がうかがえます。

(文 海原純子)

職場に向かう人たち

職場に向かう人たち

 ◇ジェンダー不平等も要因に

 契約更新前に不調

 メーカーで事務職をしている30代のAさん(女性)は、半年に1回の契約更新の前になると食欲不振と早朝覚醒に悩まされうつ状態に陥ります。特に最近、同じころ入社した仲間が契約を打ち切られ不安がひどくなったといいます。製造業の企業に契約社員として勤務する40代のBさん(男性)は昨年来、企業の業績が新型コロナウイルス禍で落ち込み、自分自身も営業で思い通りの業績が残せないため、今後の契約への不安から睡眠の質が低下し、気持ちが落ち込むことが増えているといいます。

 正社員より賃金少なく

 代理店勤務で30代のCさん(女性)も非正規で、うつ状態が継続。同じ30代の同僚女性と給料にかなり差があることが不満で、仕事のモチベーションが上がらないといいます。ボーナスの時期は特に顕著。正社員だけに与えられる特典などもあり、そうした情報はできるだけ見ない、聞かないようにしているそうです。

 男性優遇に諦め

 事務職のDさん(30代)は、3年後輩の男性が上司になり仕事へのモチベーションが低下しています。後輩が入社した時は自分が教えたことがあるので余計に腹立たしい思いをしているといいます。Dさんの事業所では女性の管理職が皆無で40代を前に退職してしまうケースが多く、Dさんも最近気持ちが落ち込むことが増えたので退職を考えているようです。入社する時、自分が勤務する事業所のジェンダー不平等など考えずに決めてしまったのが悔やまれると話してくれました。

 ◇非正規は心の活気が低下

 正規と非正規の勤労者の格差は給与面だけではなく健康面に及んでいることを、九州大学の錦谷まりこ准教授らのグループが2013年の「国民生活基礎調査」のデータを基に22年7月にMedicines誌に発表しています。調査対象は18~45歳の会社員8282人(男性4444人、女性3838人)で、心の健康状態(厚生労働省K6による心の活気)と所得、雇用形態との関わりを分析しました。
 その結果、非正規の社員は正規の社員に比べ心の健康状態が不良であることが分かりました。また、非正規の場合、女性は所得階層が高くなるほど心の健康状態は良くなるものの、男性は所得階層が高くなっても改善しないことが分かりました。

 ◇男性、プレッシャーがストレスに

 男性の場合、非正規だと所得が上がっても健康状態の改善が見られないことについて錦谷准教授は、非正規男性の多くは結婚しておらず、安定的立場に対する社会からのプレッシャーがあるのではないか、と推察しています。女性はパート的な仕事をしていても問題はないのに比べ、男性の場合は「いい年をしてバイトのような仕事をしている」といった風当たりがありストレスを感じるのではないかということです。

 コロナ禍で増大したメンタル不調

 22年7月に発表された厚労省の「21年度労働安全衛生調査」(全国の約1万4千事業所についてオンラインで実施)によりますと、20年~21年にメンタル不調により連続1カ月以上休職したり退職したりした従業員がいる事業所は10.1 %で、前年度の9.2% から増加。メンタルヘルス対策に取り組んでいる事業所は59.2%で前年度の61.4% から低下しています。コロナ禍でメンタル不調が増える一方、事業所の対策は手薄になっている状況がうかがえます。

 メンタルヘルス対策としてストレスチェックを行っている企業は76.4%ですが、中小企業は大企業より実施率が低く、分析結果に基づいた対策も十分とは言えません。対策はメンタル不調に陥った従業員個人への支援・教育・研修、産業保健の担当者への情報提供などが主で、例えば先に紹介した企業の在り方に起因する賃金格差や男女格差によるストレスに関しては手を付けていない状況です。

CEOがホームページで自社のメンタルヘルスへの意欲的な取り組みをビデオ紹介(CCLA Corporation Mental Health Benchmark –UK100より)

CEOがホームページで自社のメンタルヘルスへの意欲的な取り組みをビデオ紹介(CCLA Corporation Mental Health Benchmark –UK100より)

 ◇企業CEO関与が評価基準に

 英国では今年、企業のメンタルヘルス対策に関して大きな動きがありました。メンタル不調による休職・退職で発生する損失は大きく、その改善を働き掛ける必要性から、英最大規模の投資運用機関CCLAが5月に英大手上場企業100社のメンタルヘルスへの取り組みを評価する指標CCLA Corporation Mental health Benchmark-UK100を発表しました。

 この企業評価指標ではメンタルヘルス対策に関する企業の在り方・姿勢が問われており、雇用体制や親会社、子会社による不平等感の是正、ジェンダー平等への取り組みが行われているかなども評価基準の中に含まれています。そして何よりメンタルヘルス対策について、人事総務の担当者に任せきりにするのではなく、企業のCEOが旗振り役になりリーダーシップを取ることを求めています。

 ◇7兆ドル投資家連合が要望書、野村アセットも参加

 今年7月、7兆ドルの資産を持つ29の年金基金、銀行、保険会社などの金融機関を保有するアセットオーナー、機関投資家の連合が、先に評価を行った英大手100社のCEOに対し、職場のメンタルヘルスに関する管理システムの導入を求める書簡を送りました。この中には野村アセットマネジメント、ブルネル・ペンション・パートナーシップなど責任投資運動に最も影響力がある機関が含まれています。

 この評価基準の取り組みの立案者であるCCLAのエイミー・ブラウン氏は、「メンタルヘルスに関する取り組みは数多くありますが、企業トップが率先して旗を振っていることが少なく、戦略的な計画が立てられていることはまれであると分かりました」と述べています。

 まさに日本もそうした状況と言えます。心身の不調に陥った従業員に対するサポート、労働時間や上司・周囲とのコミュニケ―ションの改善が中心で、対策は人事総務の担当者に任されるケースがほとんど。CEOが率先して取り組むのはまれではないかと思います。不調の要因になっている賃金格差やジェンダー格差についても手付かずです。

 10月には日本を含む世界の大手企業の評価、Global100が公開されます。こうした動きが企業トップの意識改革につながってほしいと思います。(了)

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