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「精神疾患のケア、考えるきっかけに」
~ベルリン映画祭最高賞の監督が会見~

 2022年製作の日仏共同作品で、ドキュメンタリー映画「アダマン号に乗って」が今年2月、世界三大映画祭の一つであるベルリン国際映画祭コンペティション部門で、最高賞の金熊賞を受賞した。精神に疾患を抱える人々をケアするフランスの取り組み「アダマン」を温かなまなざしで捉え、観客に精神科医療とはどうあればいいのかを静かに問い掛ける作品だ。

セーヌ川に浮かぶアダマン号© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride - 2022

セーヌ川に浮かぶアダマン号© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride - 2022

 ◇もう一度世界とつながるために

 精神疾患がある人々が日常の活動の中で社会と再びつながりを持てるようサポートするデイケアセンター「アダマン号」は、パリのセーヌ川に浮かぶ、木造の船を模した施設。国立のパリ中央精神医療グループに属している。

 アダマンにはパリ1~4区の統合失調症や双極性障害などの患者約200人が通っている。主治医などの判断で毎日通う人、決まった日にだけ通う人、不定期にしか来ない人がいて、年代も社会的背景もさまざま。介護側メンバーの看護師、心理士、作業療法士、精神科医、病院職員らが常に注意深く見守る。

 活動は患者と介護者が毎週ミーティングで決める。誰でも話し合いたいテーマを議題に加えることができ、特別なイベントなどについて発言が飛び交う。

 日々開かれるワークショップは絵画やダンス、裁縫、音楽会や映画上映会、ジャム作りと多種多様だ。生き生きとした場所であることが映像を通して伝わってくる。患者の中には、その場の雰囲気を楽しんだり、バーでコーヒーを飲んだりといった参加形態の人も。ワークショップはそれ自体が目的ではなく、患者が家に引きこもらずに、もう一度世界とつながるようにするための手段にすぎないのだという。

「アダマン号に乗って」の一場面© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride - 2022

「アダマン号に乗って」の一場面© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride - 2022

 アダマンで過ごす患者たちの表情は豊かで、語られる言葉は詩のように多彩だ。監督のニコラ・フィリベール氏は日本公開前に記者会見で「患者たちに会うと、予想外のことに出会う。画一化・基準化された世界で、彼らの言動や態度にはドキッとさせられた。それは、彼らの言葉がフィルターのかかっていない、飾り気のない言葉だから。世界に鋭い意見を持っているから。私は彼らと会うことで癒やされていたんだ」と撮影の様子を振り返った。

 ◇患者の尊厳を傷付けない

 フィリベール監督によると、仏の精神科医療の状況は芳しくないという。公的予算の削減はもちろん、はびこる偏見や虐待に近い出来事。映画でこうした場面は描かれていないが、背景には人間的な精神科医療の危機的状況がある。「精神科医療は今まさにスポットライトが当てられることを必要としている。作品の受賞が、人間の健康をケアする制度が見直されなければならないと考えるきっかけになるのではないか」(フィリベール監督)。

 製作に携わった臨床心理士で、実際にアダマン号で働くリンダ・カリーヌ・ドゥ・ジテールさんも「精神に疾患を持つ人に恐怖感を抱いたり、虐待のような行動を取ったりといった偏見はどこの国でも、いつでもあると思う。それにもかかわらず、行政の支援は低下傾向にある。人間的な精神科医療の継続が難しくなっているのは事実」と憂えた。

 映像には、精神科医が「皆さんには存在したいという欲求がある。それが大切」と患者の前で話す場面があった。たびたび日本でも問題になる、精神疾患を持つ人に対する身体の拘束とは正反対の考え方だ。フィリベール監督の根底にある考え方も同じで、撮影前にじっくり時間をかけて、撮影することと理由を話すという。「そこで映ることを拒む患者も数人いたが、決して説得しない。カメラという存在は対象者にプレッシャーをかけるもの。自由に嫌と答えられる雰囲気づくりを常に心掛けていた」

 患者たちは完成した映画を見て好意的な様子を見せたといい、フィリベール監督は「一人の主体として扱ったこと、威厳と尊敬を持って撮影したことが伝わったと考えている」と強調した。

記者会見したニコラ・フィリベール監督(右)と臨床心理士のリンダ・カリーヌ・ドゥ・ジテールさん

記者会見したニコラ・フィリベール監督(右)と臨床心理士のリンダ・カリーヌ・ドゥ・ジテールさん

 精神疾患を取り扱う日本のニュースやドキュメンタリーでは、顔を隠して紹介するケースが大半を占めることについて、フィリベール監督は「私は絶対にしない。できない。顔にモザイクをかけるのは、言説だけに興味があって、その人を人間として見ていないことになる」とした上で、「その人のまなざし、顔が大事。顔を撮らない映画は映画ではないというくらい、必要不可欠なものだと思っている」と断言。日本の報道や表現の仕方を痛烈に批判した。

 2人は会見の最後に、色紙に書いたメッセージを見せた。リンダさんによると、「アダマン号のような場所が日本にもあったらいいのにという思いを込めた」という。わが国の精神科医療の現状はどうか。都内の精神科病院で看護師による入院患者への暴行事件が明らかになり、逮捕者や都の改善命令が出るなど、決して良好とは言えない。

 ◇実現へハードル高い日本

 精神科医療の現状に詳しい、杏林大学保健学部の長谷川利夫教授は「日本は戦後、『精神科特例』という当時の厚生省事務次官通知に基づき、他の診療科に比べ少ない人員水準が許容され、今に至るまでそれは解消していない。そもそも、当初から予算の手当てが十分でない状態が続いている」と話す。

 精神保健福祉法では、任意ではない入院、隔離、身体拘束などを行う権限が、国が指定した「精神保健指定医」に対して与えられている。このような予算と人員不足の中、精神科医療に携わる全ての医療機関で、こうした強制力を伴う権利制限が適切な判断でなされているのか。長谷川教授は「例えば、身体拘束死裁判で違法の判決が下されても、精神科病院の業界団体から異論が唱えられてしまう。精神科医療は今よりも一定程度、公的要素を増やしていくべきではないか」と指摘する。

 同教授は、こうした現状がある限り、形式だけアダマンのような場所をまねして造ろうとしても、日本ではうまくいかないのではないかとも憂慮。「活動に患者を参加させることで、あたかも人間的な精神科医療を実践できているような、中身のない見せかけの場になってしまう可能性もある。精神に疾患を持つ人に正面から向き合い、柔らかな心を持って対等に接すること。できる人には何でもないが、できない人にはこれ以上難しいことはない」と話した。(柴崎裕加)

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