ヒポクラテスたちへDr.純子のメディカルサロン

「私の歩いている道」 小澤一史 日本医科大医学部長

 高校生の頃、私は法学部に行き、法律を学んで裁判官になりたいと思っていた時期がありました。法律を通して人々の生活、平和を時には厳しく、時には応用性、弾力性をもって対処する仕事に魅力を感じていました。

小澤一史・日本医科大大学院教授
 そんなとき、日本医科大老人病研究所(現先端医学研究所)の病理学教授であった金子仁先生が書かれた「病理夜話」という小さな冊子を読む機会がありました。その中で「病理学は医学の世界の最高裁判所である」という記述があり、大きな興味を抱きました。

 もともと群馬県前橋市の郊外で、祖父、父と医院を開業している家系ですので、医学の世界には親和性がありましたが、ただ漠然と後を継ぐために医学部に行くという感覚が嫌だった時期でした。金子先生の説明は、私に「そういう興味深い領域も医学にあるのであれば、自らの意志で医学部を目指そう」と思わせ、その後の道標となりました。

 1年浪人して、東京慈恵会医科大に進学しました。実家が医院だというだけで、医学の医の字も十分に知らないものが「病理学を学ぶ」というのも生意気な話だったと思います。そもそも本質的な病理学がどんな学問かも分かっていなかったはずですから(笑)。

 教養課程を終えて、いよいよ医学を学ぶ専門課程に進み、まずは解剖学、生理学、生化学などを勉強し始めました。その時に、試験管の中で生じる化学現象を解析し、その結果を考察する生化学という学問になかなかなじめず、その反対に顕微鏡を通して目の前にある実体を学ぶ解剖学に惹(ひ)かれました(単に生化学の成績が悪かっただけかもしれません。ストライヤー生化学=医学生の教科書=をいま読むと、とてもよく分かるし面白いです)。

講義中の小澤教授
 解剖学、特に組織学を学びながら、慈恵医大解剖学(組織学)教授の吉村不二夫先生(故人)の研究室に「学生班」として出入りさせていただき、先生の研究を手伝いつつ、自分も研究者になったような気分を味わっていました。

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