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「何のため、誰のため」を問い続けて
地域から世界にはばたく―和歌山医大

 和歌山県立医科大学は1945年、4年制の和歌山県立医学専門学校として発足、98年に海岸沿いにある現在の紀三井寺キャンパスに移転した。海と山に恵まれた風光明媚(めいび)な環境の中で、国公立大学では初のドクターヘリを導入して県民の医療の充実を図ってきた。世界で初めて全身麻酔下手術を行った華岡青洲は和歌山の出身。その精神を継承し、地域医療をベースにしながら国際社会で活躍できる医療人の育成を目指している。2021年には薬学部を開設し、医・薬・看の3学部を擁する医療系総合大学となる。宮下和久学長は「3学部がコラボレーションして、さらに研究の促進を図り、25年の創立80周年を迎えたい」と意気込みを語る。

和歌山県立医大付属病院のドクターヘリ

和歌山県立医大付属病院のドクターヘリ

 ◇地域偏在を埋める地道な取り組み

 世界遺産の熊野古道、高野山で知られる和歌山県は、総面積の8割を山地が占め、点在する中規模都市の医療をカバーするのは非常に困難な土地柄だ。03年に国公立大学で初めてのドクターヘリが導入されたのも、こうした地域性を反映してのこと。宮下学長は「100キロの距離を30分で飛べるようになり、急性期の治療に各段のスピードと質の向上が実現できました」と強調する。

 同県の人口対医師数は足りているが、地域偏在をいかに埋めていくかが課題だ。医学部の定員は当初の40人から現在は100人に増員、一般枠70人、地域医療枠10人、県民医療枠20人の3コースを設け、二次医療圏の中核病院の幹部候補生やへき地医療を担う医師の育成に取り組んでいる。卒後も地域医療に従事するよう地域医療支援センターに専属のスタッフを配置して、一人ひとりにきめ細かな支援を行う。

 18年度の医師臨床研修マッチング中間公表では全国81大学病院中7位。研修医の大学病院離れが進む中、研修施設として常に上位にランクしているのは、地道な取り組みの成果といえるだろう。

 「卒業生の約半分は和歌山にとどまって、地域医療を実践してくれています。地域偏在の問題はありますが、おかげでこれまで医療崩壊の危機に見舞われたことは一度もありません」

インタビューに応える宮下和久学長

インタビューに応える宮下和久学長

 ◇エビデンスの構築に最適なコホート

 「地域に行くことが左遷ではない。地域とともに世界にはばたいてほしい」と宮下学長は強調する。医学部2年生にアンケートをとった際、地域医療を「和歌山に閉じ込めて外に出さない」とイメージしている学生が多かったという。

 和歌山で医療を実践するメリットとして、宮下学長は、人口の流動が少なく、県全体が研究に最適なコホート(用語説明1)になる点を指摘する。都会では患者が病院を変われば、その後の追跡はできなくなる。ところが、和歌山なら同じ患者を10年単位で追跡することが可能で、その結果、エビデンスレベルの高いデータを容易に集めることができる。「地域の中核病院にいても質の高い研究ができるし、エビデンスに基づく診療ができる。そこから世界にも発信していける」

 ◇大学院の長期履修コースも設定

 「地域とともに世界にはばたく」を実践するために、へき地医療の担い手となる地域医療枠の学生でも、専門医資格の取得や大学院への進学もできるよう選択肢を用意している。大学院は通常4年間で卒業だが、最初から宣言して入学した場合、8年間かけて卒業してもよいシステムを作った。これにより、地域医療に従事しながら、診療の合間の時間を使ってじっくり博士論文をまとめることができる。また、医学部在学中に研究に取り組み、成果を収めた学生は、大学院を3年間で修了できる。希望者には短期留学も支援す

 「地域にしっかり目を向けるのと同時に、決して和歌山だけに閉じ込めないようにしています。やはり、高い視点と広い見識をもって、和歌山の医療を見直すことも大切。さらなる高みを目指して羽ばたいていく人がいれば、応援したい」。また、附属病院内に臨床研究センターを設置し、学内の研究支援、活性化を期待している。

 和歌山が生んだ華岡青洲に加え、初代学長の古武彌四郎氏はアミノ酸の一種であるトリプトファンの研究の第一人者でノーベル賞の候補になった人物だ。その流れをくむ学生には、リサーチマインドも身に着けてほしいと願っている。

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