一流に学ぶ 減量手術のパイオニア―笠間和典医師

(第3回)
黎明期の内視鏡手術と出合う
救急医療志した若き日

 笠間和典氏が群馬大学医学部を卒業した後、研修先に選んだのは同大の麻酔・蘇生科だった。ここは救急の管理も行っており、当時、ドクターカーやドクターヘリの導入に向けた準備を進めていた。

 「麻酔・蘇生科の医局長がすごく魅力的な先生だったので決めたんですが、呼吸管理や集中治療室(ICU)も含めた全身管理を身に付けることができて、大変勉強になりました」

医師になって3年目、転勤先の旭中央病院(千葉県旭市)で同年代の外科医たちと話すうちに、本格的な救急の仕事がしたいと思うようになる。

 「もし目の前で腸が腐っておなかが痛いと苦しんでいる人がいたら、どんなにICUや麻酔の知識があっても、おなかの中の腸を切り取らなければ助けられないですから」

 そこで、救急救命センターが先進的な取り組みで知られる大阪大学特殊救急部に転職することに決めた。「やりたくなったらやらないと気が済まないというか、結局自分の人生の責任を持つのは自分しかいない。後になって、あの人の言うことを聞いたからこんな人生だったんだというのは、僕は受け入れられない」

 しかし、阪大は2年目に外科の研修に出るシステムになっていた。希望した関東の研修病院には定員1人に対し、笠間氏ともう1人が名乗りを上げた。

  「もう一つの研修先は手術件数の少ない、いわゆるハズレの病院でした。2人でコイントスをしたら、僕が負けてしまったんです」

せっかく麻酔科を辞めて阪大に来たというのに、手術のできない所で時間を浪費するわけにはいかなかった。「自分で探してきます」と言って、群馬大時代に1カ月ほど研修を受けた亀田総合病院(千葉県鴨川市)に行くことにした。

 「手術件数がものすごく多くて忙しいんですけど、しっかりとした教育システムがあって、どんどん手術させてくれました」

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