一流に学ぶ 日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏
(第4回)心臓外科へ、気負いなく =職業意識で迷い吹っ切れる
◇3晩寝ないことも
当時の胸部外科は1日17~18時間勤務が当たり前。心臓手術では、人工心肺装置の管理のために3日3晩眠れないこともしばしばだった。「チームで交代して休むけれど、当直室に行く時間もなくて、手術室の床で寝たこともあります。2時間ぐらい仮眠するのに当直室がいっぱいで、寝る場所がなかったときは、病室の空いたベッドで仮眠を取ったこともありました」
食事も満足に取れず、いつでもエネルギーの補給ができるよう、自分のロッカーや医局など、立ち寄る先々にビスケットなどを置いて空腹をしのいだ。「あの頃はおすしより、むしろラーメンとか焼き肉が食べたかったですね」と向井氏。慶応大医学部を卒業し、外科に入った女性は初めてだった。体力には自信があったし、「女性だから」と気負う意識はまったくなかった。
「私は、男の子だから女の子だからという育てられ方はしていない。そもそも自分が女性という意識もない。手が空いていて、助けられるものがあれば、みんなで助け合っていこうねっていう時代だったから。男も女も、日本人も外国人も、子どもも大人も、みんな同じ。ベースは人だし、生き物だと思えば全員が同じグループに属しちゃう。そうすると、どこへ行ってもあんまり大変だって思わないじゃない」
男社会の中で、「男に負けたくない」と頑張る女性は多いが、向井氏はまるで次元の違う捉え方で、あの時代を生きていた。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
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(2017/11/14 10:57)