女性アスリート健康支援委員会 諦めない心、体と向き合うプロ意識

アトランタの「ミッション・インポッシブル」
控えの司令塔、大逆転導く―ヨーコ・ゼッターランドさん

  ◇9点差諦めず、大ピンチで輝く

 アトランタ五輪の日本―米国戦第3セット、米国選手のスパイクを必死にブロックする日本選手(時事)
 米国と日本の対戦は、第1セットの始まりから日本が9点連続でポイントを取る一方的な展開となった。ゼッターランドさんの出番は、日本があと6点取ればセットを奪う、この厳しい状況で巡ってきた。「オリンピックの大舞台で、それまで経験したことのない点差で投入されたことには、少し驚きました」と振り返る。

 だが、すぐに覚悟は決まった。「目の前にある一球一球を大切に扱いながら、1点ずつ積み重ねていこうと集中しました」。磨いた戦術眼でゲーム状況を読み、正確にトスを上げ、長身を生かしたブロックも決めた。その活躍で、ゲームの流れは一変した。

 米国は9点差を追いつき、大逆転して15対11で第1セットを奪い取ると、勢いに乗って第2、第3セットも連取し、ストレート勝ちした。その後、予選リーグを突破し、決勝トーナメントに進んだ。準々決勝で金メダルを取ったキューバに敗れて7位入賞にとどまったが、日本戦は人々の記憶に残る試合になった。日本は結局、予選リーグで敗退し、過去に出場した五輪で最低の9位という結果に終わった。

 米誌「スポーツ・イラストレイテッド」は、ゼッターランドさんが演出した米代表チームの逆転ドラマを「ノー・ミッション・イズ・インポッシブル」という副題を付け、たたえた。この年、トム・クルーズ主演の映画「ミッション・インポッシブル」シリーズの第1作が公開されていた。

 ◇「生涯のベストゲーム」今も誇りに

 今になって振り返ると、米代表チームが苦境に立っている時に試合に投入されることの多かったゼッターランドさんに、チームメートの一人が「ヨーコにとっては、一番輝ける瞬間なんだから」と、ぼそっとした声でさりげなく励ましてくれたことを思い出す。当時の監督も、ピンチのときにゼッターランドさんに何ができるかをよく把握して、その起用法を考えていたのだと思う。

 日本に戻り、Vリーグにデビューした当時のヨーコ・ゼッターランドさん。多彩なトスワークでゲームを組み立てた
 米国で6年間過ごし、体と心の両面でプロフェッショナルとしての成長を遂げたゼッターランドさんは、その後、日本に戻ってバレーを続けた。日本のバレー界が日本リーグのプロ化を断念し、名前をVリーグと変えて再出発し、しばらくたった頃だ。97年にダイエーオレンジアタッカーズ(現久光製薬スプリングス)とプロ契約を結び、Vリーグ優勝1回、全日本選手権優勝2回に貢献し、30歳で現役を引退した。

 「二つの祖国」を行き来し、前人未到の道を歩んだ競技人生もまた、「不可能を可能に」という言葉が似合う。引退後も活動の幅を広げ、現在は日本スポーツ協会常務理事にも就任。「コート上以外のことでは、めげそうになることもある」と冗談交じりに話す今も、「アトランタの奇跡」は、「私の競技人生の中でもベストゲームとも言える試合」と誇りにする思い出だ。(了)


◇ヨーコ・ゼッターランドさんプロフィルなど

◇五輪の夢追い渡米、メディカルチェックに驚く (諦めない心、体と向き合うプロ意識・上)

◇10代から自分の体に向き合おう (諦めない心、体と向き合うプロ意識・下)

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